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その夜――は自室である下宿先の金城家の一室にて、ウンウンと唸り声をあげていた。
下宿し始めて半年ほど。少しだけ己の色に染まりつつある仮初のマイルームにて、少女は寝台に寝そべりながら彼女史上最大の試練との戦いを繰り広げていた。ベッドの上でぐるりと掛け布団を身にまとい、春巻きか海苔巻きよろしくころりと横たわるその姿。その光景は見るものが見れば異様に思えただろう。
いつの頃からか、は何かしら悩みや恥じらいなど、己の処理能力を超える何かにぶち当たった時にはこうしてぐるぐると自分を簀巻きにしてしまう奇妙な癖があった。極度の羞恥に陥った際に”穴をほって埋まりたい”などと慣用表現としていうが、彼女の場合は文字通り”布団にくるまりたい”という欲求にさいなまれるのだ。
では何故このような事態に陥っているのかというと、それは布団巻きの端よりにゅっと飛び出した腕が持っているスマートフォンに原因があった。その画面にはある人物の情報が表示されている。
アドレス画面に映しだされているその名前は――福富寿一。どういうわけか本日手に入れたばかりのかの人物の電話番号とメールアドレス情報である。
が兄と慕う従兄の金城が今年のIHで怪我を追った際の重要人物であり、なんだかんだとが噛み付いていた相手であるのだが、どんな因果か今その男の個人情報が彼女の手の中にあるのだ。来年のIHでも最大のライバルとなるであろう箱根学園自転車競技部の主将でも有り、偵察目的で箱根学園へ潜入した際にすったもんだの末に手に入れたそれを前に、は小一時間以上唸り続けていた。
なにしろこうしてスマートフォンに情報を入力するだけでも一苦労だった。練習最中であったために、アドレスの入手経路は手書きメモだったのだ。それを一字も間違わず、かの人物の情報を入力するという二重のプレッシャーとの間ですっかりと精神を削られ、登録完了したところではもそもそと布団にくるまりだしたのである。アドレス登録したところで力尽きてふて寝しても良かったのだが、やはりここは礼儀としてアドレスを知った当日に返礼をするべきなのではないだろうかという思いに小突かれ続け、今に至っている。
時刻はもうすぐ日付が変わる頃合いが近くなってきた。確か彼ら自転車競技部員は寮生活をしている者が多いという。無論、福富もその一人だ。寮生のタイムスケジュールについては潜入捜査前の調査において、友人からのタレコミもあっておおまかなものはすでに把握済みである。それによれば今の時間帯は入浴時間も終わり、消灯までの自由時間になっているはずだ。このタイミングであれば、メールを送っても迷惑になることはほぼ無いだろう。
しかし、だ。理屈ではそう判っているのだが、どうしても感情がついていかない。ごろごろと自分の体に布団を巻き付けつつ、何度目かわからない寝返りを打った。軽い圧迫感とこもった熱で全身が火照っているが、外に出している指先だけは妙に冷たい。
これが恋に悩む乙女の言動であればまだ多少マシだったのだろうが、残念ながらが戦っているのは己の怒りと羞恥という恋心と同じくらいどうしようもなく扱いに困るシロモノだった。
金城が故意の落車により怪我を負ったことを許したつもりなどない。だが、かの人物が反省の色を見せているのは自分の身を持って理解しつつある。そうでなければこうしてライバル校にこんなにあっさりと塩を渡すはずもない。
無礼を承知で潜入した先で、心尽くしの歓待を受けてしまった状況であるため、受けた礼節を同等のもので返さなければ、なんというか……そう、負けた気がするのだ。
のろのろとスマートフォンのロックを解除すると、書いては消し、書いては消しを繰り返していたメールの文面を呼び出す。件名は空欄、本文は”本日はお世話になりました”のたった一言だけ。それだけを打つのにひどく精神力を使った。いい加減送信ボタンを押すべきか、と考えすぎて溶けかけの頭で文章を見返す。
……冷静に考えて、これだけだと誰からのメールかわからない。
ようやくそれに気付いて、たっぷり数十秒悩んでメールタイトルに己の名前を入力する。相手はまだこちらのアドレスを知らないのだから、こうでもしないと迷惑メールに間違えられかねない。さすがに無題はまずいだろうし、迷惑メールとの差別化も含めここに記載するのが適切だろう。
普段友人などへ送るメールであれば絵文字や顔文字も加えるのだが、福富へのメールにそれをするのは大変に気が引けた。なによりこれ以上文取り繕う精神力の余剰はない。しかし、名乗りとお座なりな挨拶のみというのも相当味気ないな、とメールのプレビュー画面を見ながら思う。絵文字ではなく、もう少し情報量を増やすには……と思いを巡らせ、肝心の情報がひとつ書き漏れていたことに気付いた。
福富からもらった情報はメールアドレスと電話番号。ならば同等のものを返すべきだろう。メールのほうが気楽なのは間違いないが、何かの緊急時にはやはり直接会話することが一番手っ取り早いからだ。
「なにかありましたら、連絡下さい……っと」
画面をタップしながら、文言とともに自身の携帯番号を追加していく。そうは言っても向こうから電話がかかってくることなど想像もできないのだが。
慣れていないわけでもないのに、妙にもたつきながら電話番号を追記してなんとかメールは完成した。残るは送信のみ――だが。
「――」
「ひゃいっ!!!」
急に声をかけられ、少女の喉から悲鳴のような声が漏れた。
慌てて布団を跳ね上げて声のした方へ身を正すと、金城がの部屋のドアを開けた状態で少し困り顔をしていた。
「ノックは一応したんだが……すまないな」
「う、ううん。いいの、大丈夫」
「何か考え事か?」
「ちょっと、ね」
布団に埋もれるの状態で彼女の心理状況を察したのか、心配そうな台詞が続く。彼の言葉通り、全くノックの音に気づいていなかったのだ。布団にくるまっていたために乱れた頭髪を手櫛で整えつつ、姿勢を正す。金城に対して言葉を濁してしまうのは後ろめたかったが、まさかライバル校の主将にメールを送るために小一時間悶絶していましたとは言えるはずもない為、曖昧に笑ってごまかした。
妹分のそんな態度に少しだけ怪訝そうに眉をひそめつつ、男は己がやってきた目的を口にする。
「風呂が空いたから湯が冷めないうちに入るといい。
それから……上せないように、程々にな」
「……ありがと、お兄ちゃん」
へらり、と笑ったを見て安心したのか、じゃあな、と短い言葉を残してパタリとドアが閉じられた。
金城はの布団にくるまる悪癖を知っている。その為だろう、追求はなく柔らかい言葉と眼差しをもって妹分を気遣うだけに留めてくれた。その心遣いが嬉しくて、じんわりと胸の奥が暖かくなる。
恋い慕う金城の微笑みに勇気をもらった気がして、少しだけ心が軽くなる。これなら福富へのメールだってばっちりと送れそうな予感が――と、浮かれていたの顔色がサッと変わった。画面に表示されているのは、無情な送信完了の文字。送り先は当然のように福富である。
何で?! とパニックになりながら、少々前の自身の言動を遡る。布団にくるまりつつ、メール文面を精査して、大体出来たから後は送信を――というところで金城に声をかけられ、布団を跳ね上げた時に――思い切り画面に指が触れた気がする。おそらくその時に誤ってタップして送信してしまったのだろう。金城からの思わぬアシストであった。
文章としてはおかしなところなど全くないはずだが、なんというか――決意とか勢いとか、そういうものが軒並み無駄になった気がする。ズルズルと身体から力が抜け、再びはベッドの上に倒れこむ。
二秒か、十分か。どれだけそうやって葛藤していたかは分からないが、一応はメール送信というおお仕事は終わった。本日の最大ミッションは終了したのだ。あとはそれこそ入浴して明日の支度をして寝るだけである。終わりよければすべてよし、というではないか。
その事実にほっと胸をなでおろしながら、風呂に入る準備でもしようと立ち上がりかけた瞬間――手の中のスマートフォンから着信音が流れ始めた。画面表示にある発信元情報には、つい先刻やっとの思いで登録をした福富の名が記されている。
予想外の着信にの思考は一瞬にして漂白されてしまった。あわあわとまるでお手玉でもするように手の中のスマートフォンを無意味に手の中で移動させる。しかし機械は無情にも着信メロディを奏で続けている。
――普通、メールに対しての返信はメールじゃないのかな?!
何故だか滲み始めた涙が視界の端をぼやけさせる。いっそこのまま放置していれば切れやしないだろうかと淡い期待を寄せていたのだが、メロディが一巡してもその呼び出し音が途切れる気配はない。そういえば留守番電話機能は帰宅してから解除していたから、相手先が切電をするまで延々と鳴り続ける状態であった。
それに仮に相手側が切ってくれたとしても、着信履歴はばっちりと残ってしまうのが携帯電話の特徴でもある。履歴が残っていたらやはり折り返すのがマナーというやつではないだろうか。折り返すために自分から発信をする、あるいは再度メールを送るという行為をするだけの精神的余裕が残っているのか、と問われればNOと言わざるをえない。
つまり、にはこの無慈悲になる着信に対し、電話に出る以外に道は残されていないのだ。
その結論に至り、ゴクリと少女は唾を飲んだ。やけに違和感のあるそれを遠くに感じながら、意を決したように唇を固く一文字に結ぶ。
――男は度胸、女も度胸!!
そう自らに発破をかけるように心の中で叫ぶと、はようやく画面に表示されていた通話開始ボタンを力強く押し込んだ。
「も、もしもし?」
「――ああ、やっと出たなくん!」
覚悟を決めて電話を受けた途端、スピーカーより聞こえてきたのは予想よりもずいぶんと陽気な聞き覚えのある声だった。
予想とは異なる軽い声に思わずの肩が落ちる。
「オレだよ、オレ! わかるかね?」
「は、はい。東堂さん、ですよね。でも、この番号福富さんのもの、ですよね?」
「うむ、間違いなくフクのものだぞ。今ちょっと拝借をしているだけだから安心し給え」
何をどう安心しろというのだろうか。思わずツッコミを入れたくなったが、それよりも前にスピーカーから新たな声が発せられる。
「よぉ、オレのことはわかるかい?」
「……新開さんですよね」
「ヒュウ、正解! いやいや、寿一もオレ達より早く女の子のアドレス手に入れるとか、隅に置けないよな」
何故か新開が電話口の向こうで格好つけているのが見えた気がした。多分気のせいだろうけれど。
スピーカーからはざわざわとした喧騒が伝わってきており、おそらく彼らは誰かの個室ではなく寮内の共有スペースに居るのだろうと予測された。本来の宛先である福富が自室にいる時であればよかったのだろうが、さすがにそのタイミングまでは読めないのだから、このハプニングも仕方のない結果といえよう。おそらく不用意に着信相手を口にしたか何かで面白がられて主導権を奪われたに違いない。
「寿一から話は聞いたよ。取材に来たんだって?」
「は、はい。練習のお邪魔にはならないようにと思っていたんですが、大丈夫でしたか?」
「可愛い子に見られるのは歓迎だ。まあちゃんの目的を考えれば、痛し痒しってところかな」
「あはは……すいません。今度、新開さんの走りも見てみたいのでよろしくお願いします」
「正直だね。そゆとこ嫌いじゃない――って、そんな怖い顔するなよ。悪かったって」
「――いいから早く返せ」
少々くぐもったように聞こえてくる第三の声。まあまあ、となだめるような声色の新開のそれに対して、ややゴリッとした硬いものを含んだ声が漏れ聞こえてくる。その様子が先ほどの自身の推理が正しいものだったことを容易に理解させた。
ついに本番が来てしまった。今までのそれは予行演習だったのだ。そう思い、まるで背筋に氷でも入れられたかのようにビクリ、と背をしならせるとは居住まいを無意識に正した。
「へいへいっと。それじゃ寿一に変わるね。また今度よろしく」
思わず待ってください、と声を上げそうになったが、もともと発信元は新開ではない。引きとめようにも理由がない。為す術もなく受話器向こうの何かが動く音がして、よりクリアになった男の声がの鼓膜を震わせた。
「――福富だ」
「あ、はい。えっと、です」
「夜分にすまない。その、メールが来たところを東堂と新開に見つかってな。止める間もなく電話をかけられた。驚かせて悪かった」
「い、いえっ……大丈夫ですからっ」
「そうか。ありがとう」
バクバクと波打つ心臓が血流を促進させて酸素の足りない脳へ補給を行っている副産物なのか、軽いパニックの中でもどこか冷静な部分を残した思考が、ああ声だけならそんなに緊張しないかもなあ、と呑気な考えを吐き出してきた。
姿を見ればやはり憎さや何やらでいろいろな感情がごちゃまぜになってどういう態度を取ればいいのか迷子のような気分になるのだが、情報が削ぎ落とされた声という媒体だけならば少しは落ち着いて対応できる気がする。何より低い声は……まあ嫌いではない。
それに――少なくとも、今こうして真摯に対応をしている相手へみっともない姿を晒す訳にはいかない。その意気込みを胸に、すぅっと意識をして大きく息を吸い込む。
「あのっ、また見学させていただくときには連絡をします、ので」
「わかった。待っている」
「はい、あの……それじゃぁ」
言うか言わないか。グルグルと頭のなかで思考がバターのように溶けていく。
話の流れとしては不自然ではないはずだ。だってこの時間はもう遅いし、一日の終りの近づいているのだから常識的に考えて当然とも言える。
ただまあ、なんというか。福富相手に言うのがひどく気恥ずかしい気がした。それでも――言ってもいいかな、という気持ちがの唇を動かした。
「――おやすみなさい」
その言葉を言い終わるのと殆ど同時に、相手の返答を待つよりも早く言い逃げるように通話終了をタップする。
完全に許したわけではない。全てを見なおしたわけでもない。
にとって福富は敬愛する兄を貶め怪我を負わせた悪漢であるが、それはひとつの事件事故からイメージした彼女の妄想めいたものでもある。あの事故を直接知るのは金城と福富の二人しかいない。金城真護という人物は嘘の付けない、誠実な人間だ。だからこそ彼の語る内容に――事実と異なる部分はあるかもしれないが――彼自身のついた嘘はないだろう。
そして福富寿一という男もまた、実際に相対してみた限り、悪辣なことがさらりと出来るほど器用な人物ではないという思いを抱いたのもまた事実だ。自転車乗りらしくただ一つのものに対してがむしゃらに進むことしか頭にない、そんな人物だ。
だから、逆恨みを動機に完全無欠に喧嘩を売った自分に対して、本来であれば隠しておくべきである部内の情報を開示するなど、福富がにここまで良くしてくれる意図が見えない。確かに自分を見て判断してほしい、と言ってきたのは福富本人ではあるが、ここまでオープンにされると逆に戸惑ってしまう。故に彼にどういう態度で接していいかがわからない。
ただ――誠意には誠意で、本気には本気で返すべきだとは思う。そのことだけは強く感じている。
考えれば考えるほど、頭のなかが煮詰まってジャムのようになってしまうのではないかという妄想に取りつかれそうになる。
しかし、兄のため部のため、箱根学園の情報は是が非でもほしい。ならばこの乙女の葛藤などは塵芥のようなもの!!
……はそう自分に言い聞かせるように知恵熱か、あるいは別の理由から火照った頬を隠すように再び布団を体に巻きつけて、自身の思索の中に埋没するのだった。
※ ※ ※
「――おやすみなさい」
耳元で、かすかに震えた声が響く。直後、ぷつんと通話が切れた。おそらく相手側から切電したのだろう。
まじまじと福富は自身の手の中にある携帯電話を見つめた。通話画面から切り替わったメール画面には、アドレス帳に登録をするか否かのシステムメッセージが表示されている。
周囲のざわめきが波のように広がる休憩室の中、か細く耳朶を打った音が残響する。他愛もないたった一つの言葉だというのに、何故かひどく耳に残った。
「――なァ寿一」
「……なんだ?」
「実は今結構嬉しかったり?」
にやにやと人をからかうように目を細めて新開が揶揄する。付き合いの長いこの友人は人の機微に対してずいぶんと敏感なところがある。ペダルを回せばそれこそ鬼のような形相で猛烈な走りをする男だが、その内面は繊細だ。
だからこそ、こうして通話の終わった画面を見つめて半ば呆けている己の内側を鋭く見抜いてしまったのだろう。友人の言葉に、なるほどと自己の心理状況をすんなり納得することができた。
「――そうかも、しれん。こうして話せるとは思わなかったからな」
「なんだなんだ青い春なのか、フク!」
「そういうものではないと思うが……」
東堂のからかいの言葉にどう返したものかと困惑する。じわりと灯るこの温もりは言葉にすると解けてしまいそうで、喉元からなかなか出ていこうとしない。元来言葉を繰るのは得意ではないのでなおさらだ。
己の犯した罪をいかに償うのか、はたして償えるのか。一人だけでは挫けそうなその行程だが、決して見逃すまいと見据えるあの少女がいると思えば示し続けられる気がする。だから――
「オレをもっと知ってもらいたい、というのはある」
「「…………」」
許してくれ、とはいえない。けれど知ってほしい。その上で判断をしてほしい。
ずいぶんと我儘なものだと自覚する。自転車以外のものに対してこんなに強欲な自分がいたのだという驚きもあった。
彼女の憎悪に染まった眼差しの苛烈さを覚えている。灼熱の太陽が宿ったかのような瞳が今も脳裏に鮮明によみがえる。だが耳の奥ではそっと囁くように控えめなの言葉がこびりついたままだ。時刻的にもただの挨拶。そう判ってはいるが、あの夏の日のままの状態だったのであれば、その言葉はきっと告げられなかった。
もっともっと、自分を見てほしい。あの苛烈な眼差しも悪くないが、全てを見定めようとする澄んだ瞳も好ましい。そして先刻の囁きのように柔らかなものをたたえた彼女の目を見ることができたら――そんな単純な欲望のまま、部長という立場を利用して彼女の干渉を容認した自分がいる。
この感情の名前はぼんやりとしすぎていて分からないが、無体を働いた身が抱くにはずいぶんと身勝手な代物だ。
そんな思いを抱えて自嘲するように唇を歪める福富に対して、新開と東堂はお互いに顔を見合わせて黙り込んだ。しばしの空白の後、おずおずと新開が口を開こうとする。
「いや寿一、それはもう……」
「シーッ! 面白そうだから放っておくといい」
「だがなあ甚八――」
「なぁに、見守るのもまた友情だ」
にやり、と人の悪い笑みを浮かべた東堂は、くるりと身を翻すとヒソヒソと話しあう二人を訝しげに見守る福富へ声をかけた。
「ところでだな、彼女のメアドをオレにも教えて欲しい」
「なに?」
「先程ちゃんから許可はもらっているぞ。フクに教えてもらえと」
「……彼女が良いというなら構わんが」
無論、はそんなことは一言も言っていないのだが。
東堂は堂々とした態度でブラフをのたまい、福富は残念ながらそれを疑うこともなくあっさりとその言葉を信用した。己に寄せられる無形の信頼に良心がちくちくと僅かな痛みを訴えるが、これから巻き起こるだろうドタバタを最前列で見守るためにあえて無視を決め込む。スマン、これも二人のためなのだよ――! と、それっぽいセリフを心中で呟くことで誤魔化した。
「あ、それオレもオレも。ちゃんのメアド教えて!」
「わかった。まず登録するから少し待て」
そんな東堂の行動に何かを察したのか、さっと新開も手を上げて主張する。これまたあっさりと許諾した福富は、メッセージが表示されっぱなしだった携帯電話の画面に再び目を落とした。
新しい連絡先として相手のプロフィール入力を求める画面で、ふと手が止まる。
――、。
文字にして数文字。たったそれだけの情報なはずだが、入力にやけに時間がかかる。理由は分からないが、何故か微かに指が震えてさえいる気さえした。
END
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