たしかなこと
 
 

「買い出し、ですか」
「そ。備品の在庫チェックや補充もマネージャーの仕事のうちだし」

 が総北高校自転車競技部のマネージャーとして入部してから数日が経った。
 それまで自転車競技というものにほとんど触れたことのないところからのスタートである。そのため、がはじめに着手したのは部内の整理整頓などの雑用からだった。
 何分男所帯である上に部員が多いわけでもないため、部内の雑事を専門にこなす者などはこれまでいなかった。手の空いたものが自主的にやる程度である。そのため個人の裁量に任せられるロッカーに関してはともかくとして、共有スペースについては様々な器具や道具類が一部雑然としており、は新入りとして部内の状況把握も兼ねて片付けを進めている。巻島がへ声をかけたのは、それらが一段落ついた頃の事だった。

「オレらの2コ上の先輩の家はサイクルショップをやってて、パーツやら消耗品やらは、主にそこから買うのがうちのお約束ッショ」
「そうだったんですね」
「こないだの大会でサポートでちゃん付いてきたっショ? どうもその時に女子の新しいマネージャーが来たって話を聞きつけたらしくってな……一度連れて来いってうるさいっショ。
 まあ丁度スポドリとかの在庫も少なくなってきた頃だし、顔見せついでに場所の案内とかしても――」
「はい、是非お願いしますっ!」

 巻島の言葉にかぶせるように元気よく笑顔で返してくるにつられて、思わず巻島もへらりと頬を緩める。
 目的地である自転車販売店――寒咲自転車店へは小高い丘の頂上にある総北高校から歩いていける距離だ。ママチャリなども扱ういわゆる街の自転車屋さん、というやつではあるのだが、従業員の趣味が講じて千葉県下でも有数のロードバイク取扱店になっている。パーツや完成車はもとより、ユーザーからのリクエストが有ればメーカーを問わず仕入れてくれ、おまけにOBからのサービスと称した懐にやさしい価格帯など、総北高校自転車競技部にとっても無くてはならない店なのだ。

 そんな会話をしたのは半時間ほど前だっただろうか。今回は案内が目的でもあるので、学校からは徒歩で向かっている。部室を出たばかりの頃合いはお互いの共通項目である金城のことでちらほらと言葉をかわしていたのだが、商店街に差し掛かる前にはそのネタも尽きていた。目的の自転車店へは後数分といったところか。
 自慢ではないが、巻島のコミュニケーション力の低さについては定評がある。
 元来気を使ったり会話をつなげたりする事が苦手であるというのもあるし、風貌が同世代とくらべても少々風変わりであることは否めない。最も後者は好きでやっているスタイルなので曲げるつもりはないのだが。
 初対面の頃からそうだったが、このという少女はそんな巻島とは対照的に、その人好きのする表情と持ち前の度胸でするりと人の懐に入り込もうとする。今もなんとなしに開いてしまった会話の空白に対して、にこにこと笑みを崩さずにいた。ポッカリと空いたそんなエアポケットがどうにもこそばゆい。

「……ちわーッス」
「こんにちはー!」

 そんな空隙が致命傷になるよりも早く、目的地である寒咲自転車店に到着した二人は軒先で自転車をいじっている青年に声をかける。パンク修理でもしているのか、タイヤから抜き出したゴムチューブを手際よく手直ししていた男は、その呼びかけに応じるように振り向いた。

「おっ、来たな――って、なんだ、巻島。可愛い子連れて彼女の紹介か?」
「違ぇッショ!!」
「まあまあ、冗談だって」

 言われるのではないかと予想を立てていた軽口に対し、巻島は即座に用意しておいた反撃の言葉をぶつける。一年程度の付き合いではあったが、この少々人を喰ったようなOBのことだから、と警戒していた巻島の見込みは見事的中した。
 初撃をいなされた寒咲だったが、追撃をかけるよりも巻島の傍らにいる少女の存在が気になるのかジロジロと無遠慮に視線を向けている。

「しかし――こりゃ意外な組み合わせできたな」
「どーゆー意味っスか、寒咲さん」
「いや、てっきり金城が連れてくるって思ってたんだよ。この子、金城の親戚なんだろ」
「はいっ、金城主将の従兄妹でといいます。先日からマネージャーとして、自転車競技部に入部させていただきました。どうぞよろしくお願いします!」
「おぉ、オレは寒咲通司ってんだ。こっちこそヨロシク。
 来年ウチの妹が総北に行く予定だけど、他に女子部員がいるなら安心できるな!」
「…………シスコン」
「ははは面白いことを言うな巻島ァ。センパイの顔見てもう一度言ってみろ」
「ッちょ! ギブギブギブッ!!!」

 思わず零れ出てしまった本音に、笑みを浮かべた――ただし、目は完全に座っている――寒咲は手加減抜きで巻島の首根っこを掴んだかと思うと、流れるような動作でにチョークスリーパーを極める。
 気道を的確に絞め、意識を落とすことを目的としたその技に、巻島は慌てたように己の首に絡みつく男の腕をタップして抗議を示した。

「まあまあ、落ち着いてください寒咲先輩。
 妹さん、お兄さんに大事にされててむしろ羨ましいですよ」
「よし、ちゃんだっけか。キミはいい子だ。いい子なのでスポドリの他に、こないだメーカーからもらったボトルだのスプレーだのの試供品もおまけにつけてやろう」
「わっ、ありがとうございます!」

 宥めるように先達を持ち上げたの言葉を前に、寒咲はあっさりと巻島の首を解放する。褒められて悪い気はしないのか、足取りも軽く鼻歌交じりに店の奥へと姿を消した。おそらく在庫を取りにでも行ったのだろう。
 締め付けられていた喉が開放されてようやく肺へまともに空気を取り入れられるようになり、後輩はげほごほと大仰に咳き込みながら常の半眼めいたそれを更に細める。

「あー……酷い目にあったっショ。ちゃん、その、サンキュな」
「いえいえ。お世辞じゃなく割と本心からですし。
 妹さん、お兄さんにとっても大事にされてていいじゃないですか」

 羨ましいですよ、と少女は眉を下げてポツリと囁く。その表情は寂しさに彩られ、常の溌剌さが薄れていた。
 繰り返すが、巻島裕介という男は人付き合いが上手い方ではない。他人に気を利かせるとか、仲良しこよしのベッタリとした友情などはむしろ苦手な方だ。
 だからこそ今こうして目の前でしょんぼりと肩を落としてしまっているに対して、なにか言うか言わないかについて脳内でグルグルと考えだす。放っておけばいい、己が声をかけたところで何になる? と内心で囁く何かとひとしきり戦った後、言葉を選びながら巻島は口を開いた。

「――ちゃんも、十分金城から大事にされてると思うっショ」
「そう、ですか?」

 呟く巻島の言葉に、は自信なさげにそう返した。
 そう――今日だって、話は通しているのだから本当はだけを派遣しても良かった。この程度のお使いくらい、店とそこへ行き着くための地図あたりでも準備して渡せば、何の問題もなくこなしたに違いあるまい。
 それなりに言葉をかわすようになって一月と経っていない間柄ではあるが、彼女は同年代の者と比べてもしっかりとした考えを持っている部類に入るだろうと思う。
 金城と一緒に過ごしたいあまりに越境入学をしたり、彼の怪我の要因になった人物に対して義憤にかられてあれこれ活動したりと、行動力という点についてであればむしろトップクラスと言っても過言ではない。だから――と、そこまで思いを巡らせて巻島は自身の感想を一部撤回した。うん、これは確かに誰かをつけておかないと別の意味で少々心配かもしれない、と考えなおす。
 溢れまくる行動力で暴走する危険性は残念ながら常人よりもあると言わざるをえない。何しろ人付き合いが苦手な己がこうして声をかけているのも、ひとえに彼女のその危なっかしさを見ていられないと思ったところが大きい。

 昨日、神妙な顔で金城より「頼みがある」と言われて何事かと思えばお使いのフォローときたもんだから、過保護も相当っショ、とその際に口に出さずに考えたのだが、実のところは妥当性の高いものだったのかもしれない。
 その上で、あえて金城が田所ではなくあえて自分を彼女のお目付け役として選定したことにも少し納得がいった。金城がどこまでのことを把握しているかまでは分からないが、彼女の勢い余って暴走する可能性を知りうる人物は、金城を除けば確かに田所か己しかいないだろう。
 出来れば自分自身が付いて行ってやりたいが……と少々無念そうな金城を思い出して、少しだけ巻島は苦笑を唇の端に乗せる。何分就任して間もない多忙な新主将様だ。後輩の指導やら何やらを金城や田所にまかせているところが多い分、マネージャーのフォローくらいはやぶさかではない。

「あァ。むしろ過保護じゃねぇかな」
「……そうだったら、嬉しいな」

 大事にされている、ということがかけがえのない宝物であるかのように、はにかむような微笑みを浮かべる。

 ――知らぬは当人ばかりなりってか。

 彼女のその表情に、こりゃあこっちも筋金入りのブラコンだ、と少々呆れながら巻島は肩を竦めるのだった。

END


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