主人公名は「恵理」 幸村との出会いから再会まで。
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赤い侍を成り行きで助けた一週間後。今度の指令は塩10キロとクッキー一箱きたもんだ。 何でやねん、とひたすら突っ込みながらも、コンビニなどで塩ゲット。この指令の出すお題をクリアしておかないと、後々困るのは自分であると身に染みているために、シブシブではあるが手に入れざるをえないのだ。 ぼんやりとそんなことを思い出しながら、今週の漂流地を眺めやる。どこかの城下町だろうか。大通りではあるようだが、周辺に市らしきものが展開されていないために少々通りに人は少ない。 それにしてもここはどこだろう。以前のように戦場の近くじゃないだけマシかー? と思いつつ、うろうろとさ迷う。塩10キロも勿論持ちながらなので、足取りは相当ふらふらである。 人通りは少ないほうだが、それでも通行人はいる。すれ違い様、抱えた荷物にバランスを崩され、うっかりと相手ににぶつかってしまった。日本人らしく反射的に謝ろうとして――ぶつかった相手は痛みからではなく、どうやら驚きで眼を丸くしていた。 「そなたは、いつぞや某を介抱して下さった――」 「あ、あの時の。お元気そうで何よりです」 声をかけてきた男は、先週恵理がぎこちなくも手当をしたあの若者だった。かなりの出血だったと思うのだが、ぱっと見る限りではあるが顔色もよく、どうやら快方に向かっている様子だ。 思わぬ偶然に、ぺこりと恵理は頭を下げてあいさつする。 介抱したときは戦装束を身にまとっていたが、さすがに城下ともなると普段着らしい。こざっぱりとした着物を着た男は、ニコニコとした笑みも相まって恵理と同じか、それよりも下の年齢だろうかと印象をうける。 「何やら荷物をお持ちのようでござるな。どこか市へ行かれた帰りか?」 「あー、はい、まあそんなモンです」 偶然の通りすがりであることもあり、流石に事情説明がめんどくさくなったので、早々に放棄して適当に話をあわせる。 だがそれには気付かず、少年は深々と頭を垂れた。 「重ね重ね、先日は世話になった。礼をしようにも、某不覚にも気を失っておった上、目覚めた時にはそなたは既に居らぬようになっていた故…」 「いや、お気になさらず。自己満足でやった素人の手当てですし、無事でよかったです」 「せめて今からでも礼をしたい。某の屋敷へ案内しよう!」 「え、ええー?!」 唐突な申し出に、思わず恵理の口から驚愕の声が漏れる。すると少年は、明らかにしょんぼりとした様子で、 「…何か所用でもあるので?」 「いや、ないんですけどね。今もまあ目的なくうろついてる迷子のようなものだし…」 「なんと! では茶でも一つ飲んだ後に、某が送り届けましょうぞ!」 「ええええー」 恐らくは純粋な好意からなのだろう。ひょいと恵理が手にしていた塩入の袋を手にして、笑う。 「申し送れた。某、武田に仕える真田源次郎幸村と申す。良ければそなたの名を聞かせてはもらえぬか?」 「――高坂恵理、といいます」 名乗られたからには名乗り返さねば、とややぎこちなく恵理は言葉を返す。 それにしても、だ。真田――幸村。 恵理は内心頭を抱える。ここがいつもの戦国異世界としてもだ。恵理の知る戦国時代の《真田幸村》は――大阪・冬の陣にて豊臣方に付き、徳川家康の陣に切り込んだ勇猛な武者――と記憶していた。 眼前の彼を観察する。歳は恐らく同じ位、背が高くひょろりと伸ばした襟足、人好きのする笑み。…言っちゃあ悪いが、その辺のかっこいい少年で、とても戦国晩期に活躍したような侍には見えない。 「すみません、つかぬ事を窺いますが」 「うぬ、何でござろうか」 「武田に仕える…と、さっき言いましたけど。具体的にはどなたに?」 「決まっておろう! お館様――武田信玄公でござるよ!」 輝くような笑顔は、恵理の眩暈を助長しただけだった。 …武田信玄って、大阪の陣の前には確実にお亡くなりになっていたよーな。
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上田城・真田邸。流れに逆らう事が出来ず、いつの間にか恵理は連れてこられる。 通された客間であれー? とか思いつつ、お茶を用意しようという幸村に対して「あ、お構いなく」とついつい言ってしまうのは日本人の性だろうか。 「――して、高坂殿はどのあたりに住まわれているのだ?」 客人である恵理を上座に促し、己は下へと腰をおろした幸村は、初球からいきなり斬り込んできた。 直球である。流石の恵理も言いよどむ。 あー、うー、と暫し唸って、そっと視線をはずす。 「いえ、その。ここからは遠いですね。とりあえず」 世界の壁とかあります。多分。とそっと心で付け加える。 「なんと…健脚なのでござるな」 斜め上幸村。思わず恵理の頬に乾いた笑いが浮かぶ。 「いや、まあ、その… そこにどうやって戻るべきかなー、というのも解らないというか」 皆目見当が付かない、というのが本音だったりする。そうぼやくと、幸村驚いたように腰を浮かした。 「それは誠でござるか?!」 「ええ、まあ… 多分、何かあったら戻れるんでしょうけど。今までのパターンからして」 「ぱたーん?」 「あ、すいません。えっと、パターンってのは事例のことです」 「おお…そなたも南蛮語を使われるのか。政宗殿もそうであったが、世間の流行りなのでござろうか…」 「いや、流行りとかじゃないと思いますよ… って、今なんと」 「流行り?」 「いや、そのもうちょっと前です」 「では政宗殿…でござるか?」 「それです。それって――」 「そなたも名を知っておるか… そう、奥州が独眼竜、伊達政宗殿でござるよ。何度か戦場で刃を交えた事があるが…あの者こそ我が生涯の宿敵に相応しい御仁にござる!」 …とりあえず、恵理の知る限り南蛮語――所謂英語交じりで会話する独眼竜は一人しか心当たりがない。その事実は頭痛の悪化を招くものだ。 ――ますますチャンポンだな、この戦国異世界!! 史実の伊達政宗公は、遅れてきた戦国武将といわれることもある、晩期の偉人である。家康どころか家光公の時代まで存命し、爺様と慕われたとか何とか。 記憶に鮮烈に残る独眼竜の姿を思い描く。歳は自分より若干上か。幸村と比較すれば、恐らく竜のほうが年上だろう。1つか2つほどだろうが。 …ああ、なんかこう、正史との整合をするのがあほらしくなってきたな。 今更だがそんなことを思う。思えば、毛利元就と長曾我部元親が同時に存在することでも十分可笑しいわけだし。ちなみに毛利元就は戦国時代初期の人物だ。元親が存命していた時期に彼が生きていたとすれば、80歳を楽に超える。恵理の知る元就は青年と呼べる風貌であったのだが、よもやあの外見で中身はシニアだったりするのだろうか。エルフだか妖精だかの血でも流れてるのか、あの人は。 脱線しまくる己の思考回路にひとまずブレーキを掛け、一呼吸。その後、まずは最も突っ込みたい事柄を幸村に尋ねる。 「…その政宗さんって、南蛮語混じりで、6本刀同時に使う非常識さで、何か言動がいちいち怪しい人であってますかね?」 「うんうん。大体そんな感じ。なんだ、結構知ってるんだー。意外だね」 「――っ?!?!?」 ごく自然に第三者の声が混じる。気配も何もなく、幸村と恵理の間に割って入ったものがいた。そのものは天井からにょっきりと姿を現し、その為髪の毛がすっかり逆立っている。 声にならぬ悲鳴を恵理があげると、けらけらと笑いながら男が音もなく全身を部屋の中に収めた。 「こら、佐助。高坂殿を驚かせてはいかん」 「あー、ゴメンねー。ついついクセで」 「どんなクセですか、どんな」 「お、意外と立ち直り早いね」 ひゅう、と口笛を吹くそぶりを見せ、嘯く。ツッコミ魂は驚愕をも乗り越えるのです。特にこんな戦国異世界に対しては。 心のなかでそう付け加え、ひらひらと片手を振る闖入者をよくよく見れば、見覚えのある人物だった。 「どーも、お久しぶり。その節は旦那が世話になったね」 「あ、あの時の。どうも改めまして」 「おかげで、真田の旦那も回復してるよ。改めて礼を言わせてくれ」 「いやいや。そんな大したことはしていないので、どうぞお気遣いなく」 へこりへこりと頭を下げあう二人。同時に顔を上げるとバチリと視線が絡み合い、なんとなく気恥ずかしくってにへらっと誤魔化し笑いを浮かべるところまで同じだった。 「――でもホント、旦那を助けてくれたのは感謝してる。 あの時は満足に礼もいえなかったからねェ。またあえて嬉しいよ」 言いながら、佐助は暖かな湯気を立ち上らせる湯飲みを恵理の前に差し出す。 「む、佐助。茶菓子はどうした」 「昨日旦那が隠しておいた分まで食べきっちゃったでしょ! お客さん用のまで手を出しちゃって…」 「ああ、いや、いいんですよ。というか食べちゃったって…やんちゃな食いしん坊さんですか」 「手間も暇もかかるよー」 「ああ、だから腹出しヘソ出し」 「高坂殿に変なことを吹き込むでないッ!」 やれやれと肩をすくめる男に、思わず軽口が飛び出す。 「えーっと、真田さんは甘いものが好きなんですか?」 「うむ。修行の後に食す団子なぞは特に最高でござるな!」 「ほうほう、だったらこれでも食べてみます? 南蛮菓子ですけど」 ごそごそと、恵理は袋の中から人はこの菓子を取り出した。 「じゃじゃじゃじゃーん。チョコレートクッキー!」 効果音も自分で出してみる。ちょっと間抜けだ。 いつものように紙箱を開け、さらに袋詰めにされたアルミパックを開封する。途端に強いチョコレートの甘い匂いが部屋中に広がる。 一枚を手に取ると、恵理は躊躇わず口に含む。さっくりとした食感が口なのかではじけ、チョコレートの濃厚さが広がった。 じっと恵理を凝視する二人の視線に気付き、ちょっと冷や汗交じりに恵理は促す。 「ど、どーしました、怖い顔で。美味しいですよ?」 「う、うむ。――佐助」 「…多分、大丈夫。匂いはしない。最も、彼女がそうできるようなタマじゃないでしょ」 「某の恩人であるぞ!」 「わーかってるって。…んじゃま、一つ」 警戒は解かず、恐る恐るといった風合いで佐助が手を伸ばす。手の中のクッキーをまじまじと見つめ、やがて意を決したようにようやく口をつけた。 口に含んだ量はごく僅か。それを噛み含めて――まるで毒見でもしているようにじっくりと味わう。その様子を恵理は、背筋に一筋の汗を流しながら見守っていた。 …そりゃそうだよなー、こんな見慣れない真っ黒いもの、毒だって思われても可笑しくないよなあ。 戦国時代の菓子事情がどうかはわからないが、まあ少なくともチョコレートはなかっただろう。あれは大航海時代以降のヨーロッパで、薬から健康飲料、そして菓子へと変遷を辿ってきたものだ。幾らこの戦国異世界がごった混ぜカオス上等な世界観であっても、チョコレートの存在を知らないほうが当然である。 己の軽率さを反省しつつ、黙したままの佐助の様子を窺う。こくり、と彼の喉が動き、やや冷めてしまった茶にその手が伸びた。ごくごくと、音を立ててそれを呑む。 「…いやあ、これ甘いねェ。俺様にはちょっと厳しいかも」 「あ、そうですか?」 「うん、ちょっと食べるので満足しちゃうわ。旦那は大喜びしそうだけど」 「む、それでは…」 「大丈夫そうだよ。旦那好みだと思うから」 「それではいただいても良いであろうか」 「どうぞどうぞ」 恵理が促すと、今までお預けを食らっていた幸村が大喜びでクッキーに手を伸ばした。 やはり最初はもの珍し気に観察し、恐る恐るといったように口にする。しかし口にした瞬間、クワッと眼を見開き、その双眸がきらきらと輝いた。 「な…なんと!! 某、斯様な菓子は初めて食った!」 「ああ…まあ、そうだと思います。全部食べちゃっていいですよ」 「うむ、かたじけない!」 幻覚だろうか。幸村の頭の上に犬の耳と、千切れんばかりに振られる尻尾が見える。そんな雰囲気というか勢いというか。とにかく大喜びで幸村は素晴らしい勢いでチョコレートクッキーを食べる。 「…餌付けをしている気分だわ」 「旦那、甘いものに眼がないからねェ」 ぼそり、と呟いた恵理に佐助が相槌を打つ。 「そういえば…佐助さん、でしたっけ。真田さんとはどういったご関係で? 流石にホントの旦那様じゃないでしょうし」 「うん、俺様可愛い女の子の方が好みだしね。 真田の旦那はご主人様――雇い主だから」 「成る程…そういう意味での旦那様ですか。やっぱり忍者的な何かで?」 「何かって何さ。てか、俺様が忍びって解っちゃう?」 「いや、まあ…初めて会った時全身黒ずくめだし、さっきだって天井から顔出すし。これで忍者以外といわれたら私の中の忍者像は大崩壊です」 ――迷彩柄忍者、というのも十二分にイメージ破壊されていますが。という感想は口に出さなかった。 「…ところで、いまさらですが名前を聞かせてもらってもいいですか」 「へ、いいけど…」 「私は高坂恵理です。どうぞヨロシク」 「俺様は猿飛佐助……コンゴトモヨロシクってな」 ある程度の覚悟を持ってたずねると、やはりというかなんと言うか。案の定な答えが返ってきた。 猿飛佐助――少なくとも、歴史上には実在していない忍者だ。後世、判官びいきの者たちが、真田幸村の活躍を脚色し、物語に仕立てた際に生まれた十勇士が一人。多少なりともモデルになったものはいただろうけど――流石に迷彩忍者ってのは予想外である。 「…この調子だと風魔小太郎がいても可笑しくないな、この世界」 「あー、風魔かあ。俺様も話に聞くだけで、実際にはあったことないなあ」 「…いるんですか」 「風の噂じゃ、北条に雇われているって聞くけどね」 あっさり肯定された。もうこうなったら赤影青影がいても驚かない。助けて横山御大! あはははー、と現実から逃避した笑い声が漏れる。心なしか視線も虚ろだ。 「ところで…随分と大きな荷物だけど、どうしたのそれ」 「へ、ああ…まあ、ちょっと色々とわけありで」 「――塩、だよね。それ」 ぎらり、と佐助の眼が光る。びくり、と身を強張らせながらも、恵理は項首した。 「…今、うちの領内では塩が少なくなってるのは知ってるのかな?」 「――塩攻め、ですか」 記憶の隅に引っかかっている歴史事件だ。甲斐は内陸にあるため、塩を自力で生成する事が出来ない。それを逆手に取り、東海を治めていた今川による、塩の流通を差し止めたことによる塩不足が甲斐で起きた。それを憂いた武田信玄の好敵手、上杉謙信が塩を甲斐へと差し入れ、この事が後の『敵に塩を送る』という言葉を作り出したとか何とか――だが、実際のところはそのような美談ではなく、商才に長けていた上杉謙信が、甲斐領内における塩の流通不足による高騰に目をつけ、越後からの商人の行く手を阻まなかっただけだという説も根強い。 しかし――どこまで恵理の知っている歴史と、この戦国異世界での出来事が被るかは判らない。 ごくり、と恵理は唾を飲む。ここからは賭けだ、と覚悟を決める。 「――佐助さん」 「…何かな?」 「今、ここが――甲斐や日本がどういう状況になっているのか、教えてください」 「――イイぜ。簡単にいやぁ…戦国だ。日本のあちこちで戦禍が起こっている。 西は島津、毛利、長曾我部の3強。だが、彼らは上洛をするつもりがないのか、それぞれの領地を守るだけに過ぎない。 北は伊達が包囲網を突破して奥州をようやく制したと聞く。 関東では北条が、東海には今川、越後には上杉、そして甲斐に我らが武田軍がある。 圧倒的な勢力を持つのが――尾張の織田信長とその同盟国である浅井・前田・徳川・明智。最近じゃ近江に一向宗の本山が出来たり、豊臣なんてのがのさばっていたりするけど」 「…毛利の盟主は、毛利元就。四国は長曾我部元親であってる?」 「ああ。間違いない」 「――ついでに、九州で南蛮由来の怪しい宗教が猛威を振るっていたことは知ってた?」 「…噂程度にはな。甲斐までは勧誘に来てないようだが、西では結構な勢力だと聞く」 「うん、たぶん元親さんが叩いただろうし…今はそれほど強くはないと思う。元就さんも正気に戻っている…はずだし」 「知り合い?」 「ちょっとした、ね」 「…へぇ」 佐助の眼の色が明らかに変わった。おそらく、恵理に対する印象は「正体不明の女間者」であろう。彼の語った日本勢力分布は、戦国に住むものにとっては当然の知識だろうが、恵理にとってはそうではない。 「じゃ、今度は俺様からの質問。アンタ――敵?」 「…いや、そこで「違う」にせよ「そうです」にせよ、言ったところで信用します?」 「鵜呑みにはしないだろうね」 「そうでしょうとも。でも言っておきますね。違います」 きっぱりと宣言し、不適に笑む。しかし実のところはタイトロープな気分だった。 暫し無言のうちに火花を散らす佐助と恵理。その緊迫した空気を破ったのは、ムームーと苦しげに呻く男の声だった。 はっと二人してその不審音の方向を見やれば、赤い顔でどんどんと胸元を叩いている男が一人。 「静かだと思ってたら何やってんのさ旦那!」 「お茶! ほらこれ呑んでください!」 慌ててお茶を差し出すと、佐助はひったくるようにそれを手に取る。それをつっこむかのごとく幸村の口元に押し当てた。無我夢中で水分を摂取し、暫し。肩で息をしながらも ようやく人の言葉を取り戻した男が呟く。 「し、死ぬかと思った…」 「いっぺんに食べませんでした、クッキー。これ乾燥していますから、水無しでばくばく食べると酷い目にあいますよ」 「う…面目ない。美味であったが故に我を忘れてしまった」 「まったくもう…雰囲気ぶち壊しだよ」 「そうですよ」 「む、何か某、悪いことをしてしまったのだろうか…」 「いや、むしろ私としては助かったような」 「俺様としてはもうちょっとこのままでも良かったけどね」 ねぇ、と見合わせ、肩を竦め合う二人に、幸村は目を白黒とさせた。 「まあいいや。最初の話題に戻ろうか。恵理ちゃんてば、どうしてこんな塩持ってるの?」 「あー…話せば長くなるんですけど」 「いいよ、話しちゃって。でないと俺様、うっかり苦無とか持ち出しちゃいそう」 「何を言っておるか佐助!」 「ははは、ジョーダンよ冗談」 「割と本気ですよね、苦無。 ……まあ、信じられないと思いますけど。とりあえず、かい摘んで話します」 ――週末のみの異世界旅行であること。菓子と塩はその旅行を仕掛けた元凶が『持ってけ!』と命令を出したこと。事情に詳しいのは、恵理のいる世界の歴史と酷似しているためで、食い違いを照らし合わせるために半ばハッタリで言っていること。依然幸村を手当てした際にも、同じ命令でサバイバルセットを持っていたがために可能だったこと―― 全て語り終える頃には、出されたお茶が完全に冷めていた。 「…まあ、こういう事情ですが。まず信じられませんよねー」 あはは、と笑う。二人は完全に沈黙していた。無理もない。恵理だって第三者からこのような話を聞かされれば信じがたいと思っているからだ。 「――某には、そなたが嘘をついているようには思えん」 「へっ」 「見ず知らずの某を手厚く介抱し、そればかりか不思議な羽衣まで分け与えてくれたあの夜を、某は忘れてはおらん。朧気な意識の中――消えゆくそなたを見送るだけの自分がどれほど口惜しかったことか…ッ! 満足に恩も返せず、不甲斐なく思っていたところにそなたと町で擦れ違った。強引とは思ったが、この屋敷につれてまいったのも、受けた恩を少しでも返したかったが為… 今高坂殿は天へと帰られず、お困りになっておられるとのこと。なればそれまでの間だけでも、某が責任を持って御身を預からせて頂きたく!」 ぐっ、と熱く語る幸村に、恵理は完全にあっけに取られていた。ぽりぽりと頬を掻き、彼の傍らに控える忍びに困ったように視線を送った。 「……どんだけ純情なんですか、御宅の旦那様」 「いや、うん。俺様も頭が痛いところでね…」 恵理の言い分を100%マルッと信じ込んでいる幸村に、佐助は大きく溜息をついて頭を抱え込んでいる。 「ただでさえ織田との戦が近いのだ。今度は某が恵理殿をお守りする番よ!」 意気込む幸村の台詞と同時に、恵理の頭の中で何かが蠢いた。キン、とまるで氷を大量に食べたときのような痛みが恵理の頭蓋を揺さぶる。 「――ぃタ…っ!」 「ちょ、恵理ちゃん…ッ?!」 「高坂殿!!」 二人の男の手が恵理の手をそれぞれ掴む。ひどく不安げな幸村の顔が妙に可笑しかった。 以前は眠気が召還の合図だったが、今はこの頭痛がそれとなっていた。何でも、召還のプロセスを少しいじくった事がその原因らしいが、どちらにせよ迷惑なことには変わりない。 しかし、何故今なのだろうか。恵理がこの戦国異世界に召還された後、元の世界に戻るには何らかの『イベント』を通過する必要があることは体感で知っていた。 そのイベントをこなさなければ、夏の四国のように一月以上この世界に残留せざるをえないことすらあった。それが今回はこの二人と遭遇するだけであれば、茶を出された瞬間にこの頭痛は訪れているはず。となると―― 「――幸、村さんっ!」 「な、なんでござるか?!」 「――織田との戦は……長篠、ですか?」 「――――ッ」 幸村が言葉で項首することはなかったが、その表情が何より物語っていた。 ――これが、今回のフラグだ。 織田と武田の間で、戦が近いということ。これを知るための、トリップだったのだと。 頭痛はどんどんと酷くなる。意識を手放せばラクになれるとわかっているが、今それに従うわけには行かなかった。気力を振り絞って言葉を続ける。 「…織田は、鉄砲を大量に準備してくるはずです。武田の、騎馬軍団に対抗する…ッために」 「――それに怯むような武田武士とお思いか!」 「ヒトは、そうかもしれないけど、馬はそうは行かない。当たれば…怯む。だから…っ」 己の体が強く発光していることを、ここで始めて気がついた。今までこれほど堪えた事がなかったのだ。 二人が何か言っている。口が動いている。強くつかまれたはずの腕の感覚は既にない。…時間切れなのだ。 「――戻ってくる。絶対に戻ってくるから…7日後に! それまで戦は待っていて!!」 最後にそう、叫ぶことだけが精一杯だった。
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「――戻ってくる。絶対に戻ってくるから…7日後に! それまで戦は待っていて!!」 苦痛を押し殺した声でそういい残し、少女は光の中に消えた。 暫し主従は呆然としていたが、いち早く我を取り戻したのは従者であった。 「…消えちゃったね、また」 「……ああ」 幸村は、襟を掴んでいた己の掌を見つめている。今度はこの手にしかと掴んだはずだったのに、いつの間にかそれはすり抜けたかのように光の中に消えた。 「しっかし…ホントに何者なんだろうね、あの子」 「天女であろう」 「ちょっ…旦那! それ本気?!」 「でなければ、先ほど我らの目の前で消えた術をどう説明する」 至極真面目な表情で事実を突きつける幸村に、さしもの佐助も唸り声を上げた。 確かに、彼女の消え方はヒトの所業とは思えなかった。忍術だったとしても、同色の自分の目を誤魔化せまいという自負もある。なにより――とっさに掴んだ彼女の腕は酷く華奢で、ただの年若い娘のそれにしか過ぎなかった。血や闘争の気配などない、消えていくそれのように、真っ白な。 「…まあ、いいや。深く考えないッ! 7日後には何か解るでしょ!」 「そうだな。天女殿がおっしゃっていたこと、お館様に進言してみよう」 「…鉄砲かい?」 「うむ。確かに甲斐の武士であれば怯みはすまいが…馬は別であろうな。織田は火筒を好んで使う。その対策をさらに練り上げても損はなかろう」 「まぁね。だったら…俺様は霧術に磨きをかけるとするかね」 「頼りにしているぞ、佐助」 「はいはいっと。まーかせて。 とりあえず、戦に備えて美味しい漬物でもつくろうかねえ」 「誠か! ここ暫くは塩が高いから、漬物は控えると――」 「そーれがねぇ。天女様がお土産においていったみたいなのよ、お塩。割と量もあるし、暫くは料理には困らなそうな感じ」 「おおお…っ、ありがたき幸せ!! 天女殿、感謝いたしますぞぉぉぉっ!!」
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