002:階段


 丸蔵山中腹に建立されている柳洞寺。その場所へと”正しく”足を踏み入れるためには、一本の道しか存在しない。
 山の傾斜に沿って真っ直ぐに伸びる参道がそれだ。陽光は多くの木々の葉に遮られ、日中でも薄暗さが漂う。夏の盛りであれば大変過ごし易い環境だろうが、今は冬。物寂しさの方が上回っていた。
 長い参道を抜け、山門の前には一つの小さな影があった。その人物はじっと山門のある一角を凝視している。目線の高さはちょうど男性成人ほどに固定されていた。時折周囲を見渡しては首をかしげ、また一点に集中し始める。何もない空中を手で探ってみたりもしていた。

「――――」

 その様子を門番であるアサシン――佐々木小次郎は霊体化したまま黙って見ていた。
 普通の人間ならばまず彼の姿を確認する事は出来ない。だが時折感覚の鋭いものや、彼と波長があったモノなどはそれが可能になることもある。異邦人はその類だろう。見つめる視線は丁度小次郎の目を見るくらいの高さで、探る手付きはまるで羽織に触れるようであった。
 試しに今までの場所からひょいと飛んで、山門の屋根に登ってみた。すると少女は暫らくしてそれに気付いたのか、きょろきょろと視線を彷徨わせ――ひたりと彼の方角で動きを止めた。

「いやはや。随分と勘の良い子よ」

 くつくつとした笑い混じりに言葉を紡ぐ。突然に聴こえてきた風と葉擦れの音以外のそれに、少女が目を見張るのが見えた。
 上った時と同じように、ふわりと石畳へと降りる。違うことといえば、僅かばかり実体化して見せたことだ。
 少女の眼前に立つ。群青の長い髪と陣羽織の藤色の裾が風に舞った。

「さて…こうすれば私の姿が見えるかな?」
「うん、見えるよ。おにいちゃん凄いねえ!」
「ははは。凄いのはお主の方だろう。私の気配を感じることが出来たのだからな」

 無邪気に喜ぶ彼女に苦笑する。これではアサシン失格だ、と言葉には出さないがそう心の中で呟いた。
 もっとも、シラを切りとおせば良い所を、興に誘われて出てきた時点で自らそれを認めているようなものだが。

「わたしはって言うの。おにいちゃんのお名前は?」
「おや、名乗られてしまったか。では返すのが礼儀だな。私の名前は――小次郎だ」
「コジローさんは幽霊?」
「うむ。似たようなものだ」
「でも足透けてないねえ」
「たまには足のある幽霊がいてもよかろう」
「そうだね」

 矢継ぎ早の質問に短くはあるが丁寧に答えてゆく。幽霊だ、と肯定されたにもかかわらず、は恐れを持つこともなく興味津々といった様子で小次郎を見ていた。

「では今度は私が質問してもよいかな?」
「いいよー」
「では問おう。ここは街中より随分と離れているが…何故に来たのだ? 何か目的があるのか?」
「えーっと…お散歩で来たの。お山のほうには来たことなかったから。
 それで、階段の先には何があるんだろうって登っていたら、コジローさんがいたの。最初は見えなかったから、どうしてだろうって思って…じろじろ見ちゃってごめんなさい」

 そう言ってはぺこりと頭を下げる。尋ねていない事まで一気に白状されてしまった。
 無遠慮に見ていたことを申し訳なく思っているのか、眉毛が酷く下がっている。振り出す直前の空のような雲行きに、酷く罪悪感じみたものが広がった。

「いや、見ていたことは気にしなくてもよい」
「…ほんと?」
「ああ。ここには時折物騒な連中がくることがあってな。それで姿を見せなかったのだ」

 ――嘘は言っていない。
 まだ時節ではないものの、聖杯戦争の幕が上がれば間違いなくここは戦場となるだろう。
 小次郎はキャスターに召喚されたサーヴァントであり、彼の役目は参道からの招かれざる客を退けることにあるのだ。
 よってまず彼女がどのような人物かで対応は変わる。マスターであれば殺すし、そうでなければ丁重に追い返す。幼い子供は愛でるものであるが、今の自身にはそれが出来る立場ではない。
 からは契約や魔術の気配は感じられない。嘘をついているふうでもない。マスターでもなく、魔術師でもなく、多少勘の鋭いただの幼子――放置しても構わぬ瑣末さだが、己が役目は果たそうと口を開く。

「それにな――この寺には耳が尖っていて、顔を布で隠したコワーい魔女が住んでいる。
 そやつは童のように小さくて可愛らしいものが好きなのだ」
「えっ…」
「長居していると、食べられてしまうやもしれんなぁ」

 意味ありげに含むような笑みを浮かべる小次郎。その言葉にさぁっとの顔色が変わる。

「わ、わたしたべられちゃうの? それ、痛い…よね?」

 震える声で恐る恐る尋ねてくる。疑う、ということを知らないのか面白いように信じてしまっているようだった。思わず口も乗ってしまうというものだ。
 すっと体を入れ替え、彼女の背に回る。そのまますっぽりとを後ろから腕の中に閉じ込めた。きゃあ! と甲高くも愛らしい声が上がるが気にしない。

「さて…どうかな。お主は我が腕に楽々と納まるほどであるし、痛みなどないうちにぱくっと頭から――」
「やーだーー!!」

 ジタバタと力の限りに暴れ出す。しかし子供の力などたいした事はなく、小次郎の腕はびくともしなかった。
 ははは、と軽い笑い声を上げて小次郎は腕の実体化を薄める。途端、勢いあまって転がりだし、たたらをは踏んだ。石畳へのダイブだけは何とか堪えた少女は、涙で潤みきった目で小次郎を睨みつける。

「…そういうわけだ。早く家へ帰るがよい」

 溢れかけていたの涙をそっと拭いながら小次郎は言う。少女は納得いかなそうだったが、無言でコクリと頷くと小さな手足を一生懸命に動かして階段を駆け下りていった。
 その背を薄く笑みを浮かべながら見送る。面白がって恐がらせすぎたか、と頭の片隅だけで考えた。一応、嘘は言っていない。多少面白おかしく誇張はしたが。

 己の召喚主に先ほどの台詞を気かれたらさぞかし大目玉を食らうだろうな――

 そんなことを胸中で呟いて、小次郎はまた先ほどのようにその姿を虚空へと溶け込ませたのだった。

END


タイミング的には「片足」の直前かな?

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