「――お楽しみ中のところ悪いけど、お邪魔するわよ」
ドアからの声に視線を動かせば、そこには仁王立ちの白い少女と黒い神父がいた。
場に落ちた一瞬の空白の後、口を開いたのは英雄王であった。
「邪魔だ。失せろ」
両断する言葉の後、彼の眼差しは下に組み敷く少女のみへと注がれる。
にべもない王様の態度だが、それで引く二人ではない。
「ふむ、衆人の前で行うのが趣味だったとはな」
「流石は王様。高尚な趣味を持っていらっしゃるわね」
くくく、ほほほ、と笑いあう凸凹コンビの表情は見事に歪んでいる。からかいモードスイッチオンの二人の勢いは止まらない。
「ならばせっかくの誘いだ。部屋を明るくして見やすくするとしよう」
「そうね。黄昏時もとっくに過ぎちゃっていることだし」
「…………貴様ら」
至極当然と部屋の電気スイッチを入れる言峰に、いそいそとカーテンを閉めにかかるイリヤ。この息の合いっぷりは正直異常だ。唸るように声を洩らし、鋭い相貌を向けられようともお構い無しである。
やりたい放題の即興二人組にいよいよ興でも削がれたか、あからさまにため息を一つついてギルガメッシュはを開放した。拘束から解き放たれると同時に、ギルガメッシュから距離を取るようにはすすすっとベッドの端へと退避する。
「――何用だ。早々に要件を果たし、この場を去れ」
「結局さっきからいっていることが変わんないんだけど」
「なに、私たちはこれを届けに来たに過ぎん」
言って言峰はその手にある銀の輪を掲げた。白々とした人工灯の元、反射する光が酷く眩い。
それを目にしたギルガメッシュは僅かに眼を見開き、は見惚れるように息を吐く。
「言峰――それが貴様の答えか」
「私の役目は協会に属する監督役として、より良い願望者へ聖杯を渡すことだ。の願いは最もそれに符合する。何しろ、目的と手段が真逆なのだからな。
なにより、は私が示した『ギルガメッシュをこの場に呼び寄せる』という条件を《棺》を滅することで満たした。立てた誓いは尊守されねばならん」
通常であれば、何か願いがあるから聖杯を欲する。願いを叶えるために手段――令呪とサーヴァントを使って戦争を勝ち抜く。しかしは令呪とサーヴァントを求めるためだけに聖杯を求めている。聖杯に対する願いはないと言い切る。
聖堂教会としては、《根源》を求めるために聖杯を欲する遠坂家が今までであれば最も相応しき者――有体に言えば、自分たちに面倒がかからない探求者であった。しかしの願いはその斜め上を行く。監督役たる言峰の私情としても、矛盾を孕んだ少女の願いは観察するに値するものだった。
「――。私の元へ」
静かに、言峰の言葉が空気を震わせる。不意に声をかけられたは一瞬驚いたようだが、すぐに我を取り戻し頷き一つでベッドから足を下ろす。
身体の成長にあわせ、普段よりコンパスの幅が広がっているため、言峰の側へ行くことも容易かった。それでも身長差はまだまだあり、見上げるように首を上に向けないと至近距離では目をあわすことが出来ない。
しばし無言で二人は視線を交し合う。口火を切るのは神父の宣言だった。
「左手を出すがいい」
唐突な命令に僅かに迷うも、素直には手を言峰へと差し出した。そっと、無骨な手が少女の小さな手を取る。
まるであつらえたかのようなサイズをした銀の輪は、つかえることなくすんなりと、まるでそこに留まる事こそが命運なのだとばかりに輝いた。
「喜べ、。お前の願いは叶う」
左の薬指に輝く魔術銀。神父から贈られる祝福の言葉。
彼女が手にしたのは最強のカード。扱い次第で最良にも最悪にも容易く転ぶジョーカー。
なればこそ、かの者が――ギルガメッシュが手中にあれば願いは叶うだろう。
「その指輪は偽臣の書――いわば、魔術回路を持たない一般人であってもサーヴァントを制御できるように造られた魔術道具だ。
私の令呪をベースとしているためギルガメッシュのみにしか効力はないが…それがあればお前は一時的にではあるが英雄王のマスターとなることが出来る」
しげしげとは指輪を見つめる。焦がれ、求めたものがこうもあっさりと手に入ることに不可思議さを覚えた。
言峰の説教じみた解説はなおも続く。
「書籍の形ではないからな。さしずめ…そう――
「――うわ、趣味悪」
ぽそり、とイリヤが一人ごちる。どうやらネーミングは言峰の独断らしい。
その反応を上々として受け取ったのか、言峰はことさらに微笑を深くした。
「実に的を射たものだと自負しているがね。今回の悲喜劇には最も似つかわしいと」
「敢えてそこでその名前を持ってくる意地の悪さを私は指摘しているのよ」
「言峰の根性の悪さは筋金入りだ。いまさらどうこう言ったところでそれは変わらん」
「英雄王も認めるほどなのね。可哀想な」
心底哀れみの視線をに向けるが、当の本人は欠片もそれを気にするわけでもなく、ただ魅入られたように銀の輪に注視していた。
少女のか細い肩に、神父の大きな手が触れる。強く捕まれたことでようやく意識を外界に向けたに対し、見下ろす言峰は朗々と言葉を紡いだ。
「問おう。汝、は――この英雄…ギルガメッシュをサーヴァントとし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も――
共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、共にあることを、神聖なる契約のもとに――誓うか?」
こくり、と少女の喉が鳴った。音の羅列が質量を持ち、重くの胸に圧し掛かる。
誓いを立てるのはこれで二度目になる。一度目はランサーと、そして――
「――誓います」
二度目はギルガメッシュと。
後戻りは出来ないし、するつもりもない。この宣誓を持って、自分は完全に聖杯戦争へと参戦し――ランサーの眼前に立つ。
己の未熟さ、愚かさから失ってしまった全てを取り戻す。そのためであれば、この身全てを投げ打つ覚悟を少女は固めていた。
「結構。ではこれで契約は成立した。ギルガメッシュも構わんな?」
「…………」
押し黙るギルガメッシュの態度が、肯定であることを指し示していた。
両者の反応に満足げな笑みを浮かべ、ふと気づいたように言峰は己の足元に転がっていたトラのぬいぐるみを拾い上げる。
「物を投げるのは感心しないな。持ち物は大切に扱うがいい」
「う、ごめんなさい」
「さて、私の用件はこれで済んだが――イリヤスフィール、君はどうかね」
「そうねぇ…面白そうだから、これからもには協力してもいいかな。何しろ今回の聖杯戦争は完全にレールからはみ出しちゃってるみたいだから」
イリヤの言葉は殆ど本音に近かった。
自身のサーヴァントであるバーサーカーに対する最大の敵を牽制する意味でも、逸脱し始めた聖杯戦争の動向を確認する意味でも、にかかわることで大きなアドバンテージをえられることは間違いない。
「アインツベルンの目的は、この聖杯戦争を勝ち抜き杯を手にすること。対して貴女はサーヴァントを手に入れることこそが目的。
一致はしないけど、対立もしないってことで共同歩調を取ることくらいなら出来ると思うんだけど」
「それじゃあ――」
「ええ。アインツベルンは貴女と相対することはない。今日はもう遅いから無理だろうけど、明日にでも私の城に来るといいわ。歓迎してあげる」
「うん、ありがとう!」
イリヤの宣言に、は喜びを隠すことなく大きく頷いた。
ギルガメッシュの主となれたばかりか、心強い味方が増えたことは実にありがたい。
「では我々は退散するとしよう。今宵は明日からの立ち回りでも考えることだな」
「あと、ご機嫌斜めの王様も構ってあげなきゃだしね」
じゃあね、と小さく笑いながらイリヤが言峰に続くようにして室内から立ち去る。彼女の言葉とかちり、と再び落とされた照明にそういえばギルガメッシュが黙ったままであったことにようやく気づいた。
は、そっと彼の様子を伺う。僅かに寄った眉とへの字に曲げられた口元。見据える眼は据わっており、明らかに機嫌は右肩下がりなのが丸判りだった。
「……やっぱり、ギル様はわたしがマスターなのは不満?」
ベッド脇に近づきながら、恐る恐る訊ねる。彼が不機嫌になる理由とすれば、勝手に食事どころを破壊した挙句に、マスター権を譲渡され、仮初とはいえ主となったことくらいしか心当たりがない。
が身を差し出すことで願いを叶えてやる、とは言っていたが、気が変わったということもありうるのだ。
不安の色を瞳に映す少女を、ギルガメッシュは剣呑な目付きで暫く見つめ、ややあって僅かに嘆息する。
「――そうではない。今更ながらに…令呪が疎ましいものだと再認識しただけのことだ」
言ってギルガメッシュは接近していたの手を取った。左薬指の指輪がきらりと光を反射する。
「所詮この身はサーヴァント。主が命ずるのであれば従おう」
「…ギル様」
皮肉気に顔を歪め、そっと銀の輪に口付ける。もう少し彼の表情が穏やかであったならば、それは忠誠を誓う仕草に他ならなかっただろう。
ぎゅっと、の胸が締め付けられる。押し殺したギルガメッシュの言葉が心に突き刺さった。
顔は伏されたまま、ギルガメッシュの言葉が続く。
「だが――先ほども言ったとおり、お前には責任を果たしてもらう。王を空腹に晒すなど許さぬ。それは理解できておろうな」
「う、うん。わたし一人分だけど、頑張る!」
ぐっと、空いている右手を握り締め、ガッツポーズではその言葉に応える。
少女の返答に気を良くしたのか、ギルガメッシュは面を上げるとニヤリと笑った。
「――ならば、我が元へ」
ぐい、との手を引く。要するに――
「えっと……一緒に寝ようってこと?」
「そうだ。お前からの魔力供給は回路を通じてではなく、直に肌を重ねなくば行われないようであるからな」
現にお前とは魔力回路が繋がっておらん、とギルガメッシュは付け加える。
何しろ自身には回路らしい回路がない。パスが繋がっていないのは当然ではある。加えて、彼女の特異体質――触れたものに無意識状態からでも吸収した魔力を供給する能力のことだが、これに気づいているのはギルガメッシュ以外にはいるまい――を踏まえれば、ギルガメッシュの提案というものは理に適っている。
「
受肉した英霊とはいえ、現世に存在するには恒常的な魔力供給が必要不可欠だ。王の糧となる栄誉をかみ締めるがいい」
さあ、とギルガメッシュはさらに促すように、ぽんぽんとベッドの傍らを叩く。
言っていることは酷く小難しいが、ようは早く添い寝をしろということだろう。そう理解したは『はーい』と可愛らしい返事と共にベッドの中にもぐりこんだ。
もぞもぞと身体を動かしていると、ぐっと強くギルガメッシュの腕に引き寄せられる。自然身体は密着し、さながら抱き合っているかのような体勢だ。互いの鼓動さえ響きあうような気がする。
冬の外気に晒されていた肌にはベッドの中は心地よく、緩やかに血の巡りが改善されていく。ごく側にあるギルガメッシュの体温は存外に暖かい。何時ぞや繋いだ手だけではなく、今は全身が彼に包まれていた。繋がりあう熱に、ああこれが魔力を共有することなのかもしれないと蕩け始めた意識下ながらにも朧気に感じる。
「――ギル、さま」
「…何だ」
「絶対、ランサーを取り戻して…みんなで、一緒に…………」
掠れる語尾の続きを待つが、一向に紡がれる気配がない。代わりに聞こえるのは、微かに響く規則正しい呼吸音だ。眠りの淵に落ちたの表情は酷く穏やかである。
眠気が伝染でもしたのか、ギルガメッシュの意識も薄れ始める。否、単純な肉体の疲弊による眠りではない。魔力不足を回避する機能から来るものだ。例え触れ合うことで自身の魔力がギルガメッシュへと移行されるとはいっても、そのスピードは決して速くない。一定の量がじわじわと侵食するように伝わるだけである。
受肉をしている身体といえども、宝具を行使するには大量の魔力を要する。聖杯戦争の只中ということを考えれば、魔力貯蔵はあればあるほどよい。今の速度から考えれば、少女に蓄積された魔力をある程度吸収するには一晩かかるだろうと予測する。夜が消え、星が沈む夜明けごろだろうか。
ならば――今宵は共に眠りを貪る時。
戦局を見極め、休息を取ることも王たる者の勤めである。
故にギルガメッシュは抵抗することなく、その瞼を閉じて仮初の主と同じく眠りの国へと意識を手放した。