Bitter Sweet
      
      
      
      「いらっしゃい宮田君! 待っていたわ〜vv」
      「…………」
      
       満面の笑顔で迎えられるも、宮田は渋い顔だ。
       そんな彼をじろじろと無遠慮に見、はなおいっそう相互を崩す。
      
      「その様子じゃ今年も大漁だったみたいねv ま、取り合えず上がんなさいよ」
      「…そうさせてもらうぜ」
      
       さっさと奥の部屋に引っ込むの背を追い、宮田も部屋へと入る。
       少々女性らしさにかけた、ものの少ない部屋を見渡し、中央に鎮座するローテーブルに持参した紙袋をどさりと置いた。
      
      「ジムに届けられた分、全部持ってきたぜ」
      「紙袋四つ分か〜。相変わらずとゆーか、年々多くなってない?」
      「俺がボクサーって事、判ってんのか怪しいもんだ」
      「宮田君のファンは若い女の子が多いモンね〜」
      
       上機嫌でがさごそと紙袋の中身を漁る。
       その中いっぱいに詰め込まれた艶やかな装飾を施された箱を見て、彼女はますますその笑みを深くした。
      
       2月14日。バレンタインデー。
      
       一説には製菓会社の陰謀とも言われるこの日は、おそらく日本のチョコレート売り上げの何割かを確実に占めるであろう。
       女の子が精一杯の想いをこめ、勇気を振り絞って告白する愛の日――
       人間関係を円滑にすべく、ばら撒かれる安チョコレートの山――
       見返りを期待して、めぼしい相手にそれっぽく渡してみたり――とまぁ、さまざまであろう。
       そしてここにいる宮田一郎は、おそらくその日一番の被害者たるものだろう。
      
       職業、ボクサー。身体はゆうにフェザー級を超えているくせに、いまだその階級にとどまり続けている。
       よって、減量は過酷を極める。甘いもの――チョコレートなんて毒と同等だ。
       そんな彼に、毎年…いや年々増加をしている、バレンタインデーのチョコレート。
       ジム宛に、時には自宅。ロードワークの最中に渡されそうになったことのあったが、それは丁重に断った。
       本人にしてみれば、迷惑この上なかろう。
       なにしろ――
      
      「辛いわよねェ、宮田君。大好物を前にしても、お預けなんだもの」
      「…………………」
      
       そう。何を隠そう彼は甘いものが好物なのだ。
       チョコレートは当然として、餡子、生クリーム、カスタード、蜂蜜にメープル。
       ボクサーとして、本格的に活動し始めるまではそれらも食べれたのだが、いまや絶対口にすることのかなわないスウィートフード達。
       実はこっそり、引退したらケーキ食べ放題の店をはしごすることが、今の彼のささやかな夢だったりする。
       そんな宮田に、地獄の苦しみを与えるバレンタイン。
       大量のチョコレートを前に、食べられない彼の苦しみは、まぁ推して知るべし。
      
      「まぁおかげで私は、ただで大量にチョコレートもらえるんだけどね♪」
      
       ぺりぺりと丁寧に包装を取ると、次々とその姿を現すチョコレートたち。
       型抜き、チョコクッキー、クラシックガトーショコラ、生チョコ、ミニ板チョコセット、トリュフ…etc、etc。
       有名店からブランド品、もしくは手作りであろう物まで、その種類は豊富だ。
       一通りラッピングを解いて、種類別にチョコレートを仕分ける。今年の人気はトリュフのようだ。
       山と詰まれたチョコレートたちの中から適当に一箱取り出し、さも美味そうにはそれを口に運ぶ。
       口の中で蕩ける、質のよいクーベルチュールがたまらない。自然と顔も綻ぶというものだ。
      
      「よくもまぁ、それだけ美味そうに食えるな」
      「だっておいしいし」
      「だからって、食えない人間の目の前でわざわざ食わなくったてよくねェ?」
      「見せ付けるためだし〜」
      「…ッ」
      「ふふふっ、あーオ・イ・シv」
      
       心底悔しそうな宮田の表情を見て、は笑いながらチョコレートを食す。
       一箱、二箱。次々との胃の中に消えてゆく。
      
      「…太るぜ、一気に食ったら」
      「その分運動します〜」
      「肌荒れとか」
      「野菜とビタミン剤でばっちり解決♪」
      
       押し問答を続けながらも、の手と口は休まらない。次々のチョコレートが消えてゆく。
       何を言っても返されてしまうことと、好物が食べれないので宮田はすっかり無口になってしまった。
      
      「あらやだ、宮田君てば拗ねてるの?」
      「……拗ねてねェよ」
      「立派に拗ねてるじゃない」
      
       しょーがないわねーなどとぼやきつつ、はチョコの山の中から一粒のチョコレートを取り出す。
       一声かけ、宮田にそれを投げ渡す。彼はしっかと受け取り、それに目を落とした。
      
      「一粒だったらカロリーも大丈夫だろうし…その代わり、食事を少しばかり減らさなきゃね」
      「だからって……よりによってこれかよ!」
      「一番小さくて、カロリー低いのそれだし」
      「嫌がらせに近いぞ、これは!」
      「近くないわよ。その通りだもの」
      「あのなぁっ!!」
      
       怒る彼の手の中にあるものは、ウィスキーボンボン。
       チョコレートならば、ナッツが入っていようが、ジャムだろうが割と何でもオッケーな宮田だが、唯一苦手とするものがこれだ。
       ケーキやトリュフに、香り付け程度に入っているのであれば問題ないが、ウィスキーボンボンは、酒そのままの風味が舌に刺激を感じて得意ではない。
       幼いころから傍にいるも、それは重々承知である。
      
       だからこそ、あえてそれを選んだのだ。勿論、宮田にチョコを食べさせないために。
       いくら少量とはいえ、チョコレートは高カロリー。
       口にしてしまえば、きつい減量がますますきつくなるであろうことは目に見えている。
       それを思ってのことではあるが、たぶんに嫌がらせが入っているのは否定できない。
       何しろ普段が普段なので、こうやってたかだかチョコレート程度で感情を荒げる彼の姿を見るのが楽しくて仕方ないのだ。
       うつむき、手にしたウィスキーボンボンをじっと見つめる宮田を眺めていると、口の端がむずむずとする。
       指を差して笑いたい衝動を堪えつつ、宮田へいう。
      
      「だから、ボクサーのうちはチョコレートはあきらめなさいって。後で大変なのはアンタなんだからさ」
      「……いや、食う」
      「ええっ!」
      
       の短い叫びと同時に、宮田はウィスキーボンボンを一口に食べる。
       口にしたとたん、思いっきり眉をひそめる宮田。口に片手を当て、下を向く。
       いわんこっちゃないとばかりにがテーブル越しに身を乗り出し、様子をそっと伺う。
       途端、そのの手を宮田がとり、勢いをつけて自分のほうへ引き寄せた。
      
      「うわっ!」
      
       突然のことに対応しきれず、バランスを崩す。それを抱きしめるような形で、宮田が受け止めた。
       互いにローテーブルの上に半身を預けるような状態の中、宮田がすばやくの顎を掬い上げる。
       いまだに状況が判断できない彼女が次に感じたものは、口に広がる独特の刺激。
       そして至近距離での彼の顔。
       先ほど口にしたチョコレートの甘味と共に、キツイ洋酒の風味が咽喉全体に広がる。
       堪えきれずにそのままそれを飲み干し、ようやくわれを取り戻したころには、宮田は何事も無かったかのような涼しい顔で彼女の様子を見ていた。
      
      「み、宮田君…?」
      「なんだよ、さん」
      「今アンタ一体何したってのよ!」
      「何…って口移し」
      「よーするに、き、き、き……キスってことでしょーがぁ!!」
      「判ってんじゃん」
      「しかもディープ!」
      「じゃなきゃ口移しなんて出来ねェだろ?」
      「確かにそーだけど、そーじゃなくって!」
      「別に減るもんじゃなし」
      「減るッ! きっと絶対何かが減るッ!」
      「どーでもいいけど、机に乗ったままでいいのかよ」
      「へ、あっ!!」
      
       宮田に指摘され、は机に乗り上げた状態のままであったことに気づき、あわててそこから降りる。
       いまだパニックを残した頭の中と、不自然なほど火照った自分の身体にイラつきを覚えながら、は鋭く宮田を睨み付ける。
       その視線を真っ向から受け、宮田は小さく笑ったかと思うと――
      
      「どうだ、美味かったか?」
      「味なんてわかるわけないわよっ!!」
      「あ、そ」
      「そうよっ!」
      「俺は…甘くて美味かったけどな」
      
       その台詞と同時に、の投げたウィスキーボンボンの箱が宮田の顔にクリーンヒットした。
      
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