Seventh Heaven
2/1: Shift -1-
一夜明け――結局身体は元の大きさに戻らなかった。
この身体は何かと不便なのではあまり好きではない。慣れていないせいもあるのだろうが、普段以上に転びそうになるし、あちこちに手足をぶつけて痛いのだ。一度など、あまりのコンパスの違いに戸惑い、派手にスッ転んで足首を捻挫した。
捻り方がまずかったのか酷い痛みに声もなく蹲っていると、たまたま通りかかった言峰が手当てをしてくれた。一体どんな《呪い》をかけたものか判らないが、彼の掌で撫でられた途端青黒く晴れ上がっていた足首は元の色を取り戻し、歩くことに関して何の支障もなくなった。
そんなハプニング交じりの朝をやり過ごし、昼時をまんじりと過ごす。昼間は言峰も教会の業務でそれなりに忙しそうだし、このところランサーは昼夜問わずに姿を見ない。ではもっとも暇人であろうギルガメッシュはというと、今日に限って教会内からその気配を感じなかった。仕方なく本を読んだり、ご飯を食べたり、昼寝をしたり、ぼんやりとしてみたりして時間をやり過ごす。やはり一人なのは退屈だった。
空が茜色に染まる頃、言峰がの自室を訪ねてきた。読んでいた本をテーブルに置く。
「客人だ。お前もくるといい」
短くそれだけを告げて、彼は部屋を後にする。その背中を小走りにが追った。
教会に、もしくは言峰本人に客人が現れる事はそれほど珍しいことではない。しかし多くの場合その対応は彼一人で行っており、今までにが同席するような事はなかった。
珍しいな、と眉を寄せながら考えていると、まるでそれを察したかのようなタイミングで言峰が口を開く。
「昨日言っていただろう。お前の体質について外の人間の意見を聞いてみると」
「あ、うん。言ってた」
「今から会う人物は私と師匠を同じくする者で、年若いが多くの才と適性を持つ魔術師だ」
「へえー」
「魔術師は世に魔術が出ることを嫌う。よってそれは隠匿されてきた」
「えっと…ごめんキレイ。難しすぎてよく判らない」
少し肩を落としながらが申し訳なさそうに言う。言峰の言葉は常にどこか湾曲しているのだ。年若い彼女の理解力では時々理解できない単語もある。
そうか、と男は言葉を返すと、すぐに先ほどの台詞の要約を発した。
「――要するに、魔術師でもないものにそうだと知られると、魔術師はその者を殺すのだ」
「えええーっ!!?」
「何らかの魔術的要因であろうに、何故他の魔術師ではないお前を他の者に診せなかったのか――という疑問もあっただろうがそういうわけだ。殺されたくはないだろう?」
「う、うん!
…あれ、でもキレイ、今朝わたしの怪我治してくれた…よね」
「治さない方がよかったか?」
どこか含みの混じったその問いかけに、は即座に返答する。その問いの答えは最初から決まっていた。
「ううん、治してくれて、嬉しかった」
「ならば問題なかろう。
恐らく彼女から『魔術とは何か』と聞かれることもあるだろう。その際には存在は知っていると答えるがいい」
それでいきなり殺されるということは流石になかろう、となかなかに物騒な言葉を最後に再び言峰は口を噤んだ。
確かに今朝の治療の際、言峰が何らかの不可思議な力を持ってあっという間に治療してしまった事は覚えている。薬だとかそういったものをすっ飛ばし、撫でられただけで痛みが引くなどとはまさに奇蹟の一端だ。酷く感動し、凄いなあと感心するばかりであった。
しかし、本来その力――魔術――は、先ほどの言葉をそのまま信じるのであるとすれば、相当に物騒な世界観の元にある。
そう長い付き合いでは無いが、言峰は嘘を言わない人物であるという事は理解している。ただし、その言葉が丸きりの真実であるか――ということであれば、甚だ疑わしい。切り口を変えれば真実などいくらでも存在する、とはまさに彼の言動そのものを指し示していた。
ぎい、と音を立てて礼拝堂へ繋がる扉が開く。白い部屋は夕暮れの日差しで薄く朱色に染まっていた。
「――待たせたな、凛」
礼拝堂に踏み入ると、言峰はそう言葉を発した。それに応えるよう、椅子に座っていた人影がすっくとその場に立つ。
艶やかな黒髪を二つに結い、ややつりあがった瞳が印象的な少女だった。学校帰りか何かなのだろうか、見覚えのある制服を着ていた。深紅のコートがよく似合っている。
彼女はゆっくりと歩き、二人に近付いてくる。2メートルほどの間合いを取るくらいの位置でその足を止め、じろ、と凛がその眼差しをに向けた。
「…その子が? わたしと殆ど変わらないじゃない」
「そうだ。本来の背丈はこれより30センチほど低い」
「ふぅん… 俄かには信じがたい話だけど、本当なの?」
上から下まで、見定めるように彼女は観察している。その鋭い視線にはこくこくと首を縦に振った。無理もないことだと思う。それこそまるで空想話の中の出来事じみているのだ。
しかし、当事者としては疑われてしまっては困る。は精一杯反論した。
「ほんとだよ。わたし、もっとちいさいもん」
「……訊くけど、あなた何歳?」
「十歳」
「――まあ、ウソを言ってるようには思えないけど」
言いながら凛は無遠慮にペタペタとの身体を触り始める。
突然の出来事には目を丸くするが、何となく黙っていないともっと酷い目に合わされそうな気がした。大人しくされるがままにされる。少々くすぐったかったが、何とか笑い出すのはこらえることが出来た。
「まいった… ホントに回路なんてないじゃない」
「だからこそこちらも困惑している」
「まあ、アンタがわたしに話を持ちかけてくる時点でただ事じゃないとは思っていたけどね」
一頻りの身体を触診していたが、ややあって小さな息を零すとその手を収めた。
胸の前で腕を組み、の隣に立っている神父に対して矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「じゃあこっちからいくらか質問。彼女の家系で過去に魔術師を輩出した記録は?」
「私の調べた限りではいないな」
「彼女の近くに魔力の気配は?」
「あるといえばあるだろうな。何しろこの土地自体がそういうものだ」
「…そうだったわね。じゃあ、身体の変異以外に何か別に異常が起きた事は?」
「今のところはない。この変異自体、日を置けば自然に解決してきた」
これから先は判らんがな、と言峰が言う。尋ねている凛はといえば半ば頭を抱えていた。
「――確かに、この子の中には一般人にしては多量の魔力が感じられる。
だけど、それを自家精製できるような機関が感じられない。
だから周囲の魔力を吸収してこうなってしまった――という説にはわたしも同意するわ。
日を置けば元に戻るってのは多分…自然発散されたんでしょう」
風船が萎むみたいにね、と肩を竦める。ブツブツと口の中で何事かを唱える彼女の表情が、だんだんと険しい表情になっていった。
「だけどこれってはっきり言って異常よ。魔術回路や刻印とは違う…何か別の要素があってこうなっていると考えるのが妥当なところかしら。
――時計塔あたりに知られたら、研究素体として欲しがるやつとかいそうだけどね」
「だから身内でどうにかしようとしている」
「…ヘェ、珍しい。血の雨か槍でも降りそうね、今夜あたり」
言峰の言葉尻に先ほどまでとはうって変わり、くす、と小さく口元を緩める。サイドに結った髪をさらりと手で後ろに払った。
彼女はどことなく機嫌よさそうに、かつ不敵な笑みを浮かべながら発言を続ける。
「まあいいわ。ここでアンタに借り作っておくのも面白そうだし。
ああでも、上手くいくとは限らないわよ。そこのところヨロシク」
「構わんさ。流動はそちらの領分だ。こちらもどうにか出来れば儲け物位の気持ちだからな」
了解、と短く応えると、凛は再び視線と意識をの方へと向けた。自然、の身体に緊張が走る。
「…で。散々目の前で魔術がどうのこうのって話してきたけど、あなた――だっけ? 魔術がどんなものか判る?」
「え、えっと… キレイがケガを治せるのは知ってる」
言峰の読み通り――質問に、予め用意していた回答を吐き出す。
鋭い、獲物を見るような眼差しにのまれぬように、じっと凛の目を見て答えた。
その反応に彼女は僅かに目を伏せる。チラリ、と言峰の方に視線を泳がせた。しかし彼に何か問うこともなく、ぽつりとだけ独り言のように言う。
「――まあ、綺礼が見逃してるならいいか。
…オッケー。まあ、いきなりグダグダ難しいこといっても理解できないだろうから、判り易くいきましょ。
わたしの仮説は、綺礼と殆ど一緒。似た現象が数度繰り返されているみたいだから、多分あなたの身体はスポンジのようなものだと思うわ。乾いていれば水――この場合は大源…世界に満ちる魔力ね。これを吸い上げて成長する。そして一定量以上になると反動でぎゅっと搾られて元に戻る。
だから、その搾られて出てくる魔力の量を多くすればいい。でも、には小源――自分自身の魔力に転換して発散させるべき手段や回路がない。
だったら原始的なものに……ということになるんだろうけど、こっちも試してみたらどうかなって思うわ」
言いつつ、凛は自身のコートのポケットからさっと輝くものを取り出した。
- PRIMO / Kyoko Honda -