Seventh Heaven

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2/1: Shift -2-

 色とりどりのそれは、粒は小さいが透明度の高い宝石のようだった。にはよく判らないが、結構な価値があるのではないだろうか。
 それを指し示しながら凛は淡々と自身の能力の一端を語りだす。

「わたしの得意とする魔術は、別のものに魔力を移し変えるものよ。多くの場合血を媒体にするの。
 血液には人間の中に流れる魔力も多く通っているし、宝石との相性もいい」
「へえ…」
「いつもは注射器で採血してそれを垂らすんだけど…これのほうがあなたにはやりやすいかな」

 椅子に置いている学生鞄へ足を向け、その中をゴソゴソと探り出す。そうして凛が取り出したのは一本のカッターナイフだった。
 彼女の元に戻りながらチキチキと刃を出している凛に、恐る恐るが尋ねる。

「い、痛くない??」
「少しはね。でも魔術ってのは常にそれと隣りあわせなの」

 及び腰のに、凛はキッパリとそう告げる。冷ややかな眼差しに、少女の咽喉がごくりとなった。

「わたしと同じ方法で成功するかは判らないけど…まあモノはためしよ。大丈夫、死ぬ事はないはずだから。多分ね」

 はい、と刃が手渡される。受け取りはしたものの、どうすればよいものやらと視線は彷徨うばかりだ。

「ちょこっと皮膚を切るだけよ。深くなくてもいいの。指は血管が浅いところにあるから、少しの傷で程よく血が出てくるわ」

 自身の人差し指の腹を示しながら凛が説明する。ここを切れ、と言うことらしい。助けを求めるようには言峰に目線を泳がせるが、彼は何もいわずいつものように薄い笑みを浮かべていた。
 戸惑いの渦の中、ぐるぐると思考が回転する。しかし、ここでまごついていてもどうしようもないということだけは理解出来ていた。
 見も知らぬ自分のため、目の前の少女は打開策を示してくれている。その気持ちに応えたかった。

 ――ダメで元々、まあ多分死ぬわけじゃなし! 

 ぐっと一念発起して、カッターを持つ手に力を入れる。その切先を指に宛がい、少しだけ余分な力を込めて前に突き出す。先端は案外あっさりと肉に食い込み、僅かな痛みと共に赤々とした液体が玉のように膨れ出た。
 そっと刃を抜く。小さな傷口はジワジワと血液を押し出している。やや呆然としているの手に温かみのあるものが触れた。意識をそちらに向けると、それは凛のものだった。凛はゆっくりとの指を解きほぐし、握り締めていたカッターナイフを奪う。
 手品のようにそれをコートのポケットへ素早くしまい込むと、その中から代わりとばかりに小さな石を取り出して彼女の手に乗せた。
 それは小さな結晶ではあったが、均整の取れた六角柱をしている透明度の高い水晶だった。
 片手で無傷の手を、もう一方で刺し傷のある手を取る。染み出してきた血を結晶になすりつけるようにしながら、凛は指示を続けた。

「――高いところから低いところに水が流れるようなイメージで…
 上手くいくと、自分の”中身”が少しずつ抜け出すような感覚がくるわ。適当なところで切り上げないと、気を失うわよ」

 小さく頷き、彼女の言葉通りには映像を組み上げる。
 最初に思い浮かんだのは水道の蛇口――コックを捻ればざあざあと水が流れていく。それが自分自身に存在すると強くイメージした。幻の金具をゆっくりと抉じ開ける。
 流れ始めた”水”を手の中にある宝石に向ける。腕は水路だ。掌に杯を作り、そこへ全てが注がれる。流れたものは、水晶が吸い取ってくれると強く念じた。
 ――突然。カクン、と片方の膝が折れる。続けて軽い眩暈が襲ってきた。いつの間にか止めていた呼吸を再開するように、大きく息を吐いた。
 途端にイメージは散開し、あるのは手の中の宝石とチクチクとした痛みだけになる。

「……」

 まじまじと手の中のそれを見る。上手くいったかなんて判らない。急に光り輝きだしたわけでもなし、倍化したわけでもなし。先ほどと変わらず、ただ結晶は静かに佇んでいるように見えた。
 しかし他の二人は違ったらしい。凛はあからさまに目を見開いているし、言峰ですらも僅かに感情を動かしていた。
 はおずおずと自身の手の内にある石を見せながら、そっと呟いた。

「…え、っと……成功?」
「いや、まあ、なんというか…成功は成功なんだけど――こうあっさりやられると、すんごいムカツク」
「まさかとは思ったが…そのまさかだったな」

 戸惑いの中の少女と苛立ちを隠さぬ女、そして極微量ほど感嘆しているような神父。酷く奇妙なトリオはそれぞれに複雑な表情を浮かべていた。
 凛はの手の中にある少しばかり濡れた宝石を手に取ると、きゅっと血を拭った。翳り始めた夕陽に透かすように透明なそれを掲げる。

「――うん、少しだけど魔力が貯えられてる。属性は…殆ど感じないわね。わたしと同じ五大か、それともそもそも無いか…」

 そう言うなり、彼女はまたブツブツと小さな声で呟き始める。声をかけてもよさそうな雰囲気ではないので、は『大丈夫?』と無言で彼女の既知であろう神父に視線で問い掛けた。
 それに気付きはしたが、やはり言峰は視線は合わさず、凛の奇行じみた振る舞いを面白そうに見ながら答える。

「…凛の悪癖だ。時折ああやって周りが見えなくなる」
「そうなの?」
「ああ。放っておけば勝手に我を取り戻す」
「じゃあ待ってるね」

 一つ頷いて、もまた言峰を模倣して彼女の観察を始めた。
 視線を虚空に投げたり、眉根を寄せていたり、あれこれと思案しているようなその仕草は百面相じみてなかなかに面白い。
 凛は暫らくその不安定な行動を続けたが、ややあってはっと我を取り戻し、ぐるりと首をらの方へ向けた。

「…、綺礼の真似してると根性腐っちゃうわよ」

 どうやら自身が観察されまくっている事に気付いたらしかった。夕陽の赤ではない色が頬に灯っている。

「そんなことないよ。キレイ優しいよ。時々判らなくなるけど、多分、きっと」
「――最後、自分でもちょっと自信なくなったとか?」
「…ちょっとだけ」

 えへへ、と今度はが照れる番だった。
 子供は正直ねー、と楽しげに言いながら、凛は手にした水晶をの手の中に返す。

「あなたに水晶への相性があったのかもしれないけど…大したものよ。とりあえず、これにさっきと同じように無理しない程度に自分の中の魔力を流してみなさい」
「う、うん」
「慣れたら他のものも試してみるといいわ。やっているうちに、自分の中の力のコントロールも手に馴染んでくると思うから」
「なんでもいいの?」
「ええ。物によっては壊れてしまうかもしれないけど…無茶なことをしない限りは大丈夫なはずよ。
 ――そのうち素でエーテル塊とかも精製できたら、いよいよもって人間外の範囲ね。ホムンクルスか、あるいは賢者の石でも身体の中に巣食ってるか… とは言っても、何の事か今のあなたには判らないか」

 最後は半ば冗談交じりの口調で凛は一人ごちる。ぱちくりと、言葉の半分も理解できなかったのか不思議そうにが見つめていた。
 その彼女と目線を合わせ、視線を返す。真顔で双者見つめあった後、おもむろに凛は腰を曲げ、の頬に指を伸ばし――えい、と真横に引っ張った。

「こんな時期でもなきゃじっくりと観察実験したんだけど…仕方ないか。その水晶はあなたにあげる。ま、頑張りなさい」
「い、いひゃいー!」
「おー、伸びる伸びる」

 あははは、と笑いながら凛はの頬をうりうりと弄る。上下左右、よく伸びるそれは見た目どおりに触り心地がよかった。
 イヤイヤと首を横に振ってそれを逃れようとするが、敵もさるもので巧みにその力を受け流している。半分泣きかけのに、事態を静観していた神父が槍を入れた。

「――それで、ここへ来た本題の方はどうなった?」
「あー… 一応、召喚には成功したわよ」
「ふむ。では参加表明をするということでいいかな」
「そうして頂戴」

 その言葉と同時に、凛はの頬から指を離した。ゆっくりと上体を伸ばすその表情はきりりと締まったものになっている。
 凛の身体越しに声をかけた張本人を窺い見れば、言峰は満足げな薄い笑みを浮かべていた。

「では残るは一人か。近日中に幕が上がるだろう。心してかかることだ」
「…アンタがそんな事言うなんて、ますます不気味ね」
「なに、妹弟子の行く先を心配しただけの事だ」
「……そう。礼は言うべき?」
「好きにするといい」
「じゃあ言わない」

 その言葉を最後に、彼女は鞄のところまで歩き、その蓋を閉めて手にとった。何も言わず、迷いのない足取りで外へと繋がる大きな観音開きの扉へと足を進める。
 いつの間にか日は沈み、黄昏から宵の口と時間は過ぎていた。そういえば随分と室内も薄暗くなっている。そろそろ明かりをともさなければ不便に感じるほどだ。
 鈍い音と共に扉が開くと、夜の外気が一気に部屋に流れ込んでくる。春はまだ先だといわんばかりの寒気に、はブルリと一つ大きく身体を震わせた。

「じゃあね、。死なない程度にね」

 バイバイ、とばかりに鞄を持たないほうの手を軽く掲げ、凛は颯爽とその場を立ち去る。
 その言葉に、ぽかんと口をあけて呆然と彼女の背中を見送った後――は、あっと声を上げた。

「…お礼言い損なっちゃった」

 折角色々教えてもらえたのに…と、ガックリと肩を落とす。

「どうせ同じ土地に住んでいるのだ。いずれまた会うこともあるだろう」
「うん。そのときはちゃんとありがとうって言うよ!」

 静かな言峰の言葉に、ぐっと拳を作っては意気込む。
 握り締めた掌の中には、彼女から譲られた結晶体がある。
 自分自身に降りかかる厄介な事柄に対し、やり過ごすだけではなく真正面から向き合える手段が手に入ったことが何より嬉しい。

 ――一つの光明は見えた。まずはこの水晶で練習だ。
 その後は色々と試してみよう。一応、あまり無理はしない方向で。

 決意を胸にみなぎらせ、は僅かに心躍らせていた。
 先ほどまでは寒さを感じた夜風が、紅潮した頬には心地良かった。
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