Seventh Heaven

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2/3: Learn -2-

 士郎は血の匂いを纏っていたが、それは彼自身のものではなさそうだった。匂いは彼が肩を貸している女性らしき人物から漂ってくる。どうやら怪我人らしい。風に乗るほどであるので、恐らくはかなり酷いものではないのだろうか。
 そして場に現れたのは士郎だけではなかった。その傍らには金色の髪をした少女が付き従うように立っている。青いスカートに銀色の鎧装束、揺るぎのない翠色の眼差しは油断なくを見据えていた。

「――シロウ、彼女は何者ですか?」
「え、いや、前にちょっとしたことで知り合いになった女の子なんだけど…」
「そうですか。
 少女よ、尋ねます。何故あなたはこのような時間にこの場所にいるのですか?」

 返答次第では――と言外に何か鋭いものを含ませて彼女はに尋ねる。

「…ここ、わたしのおうち。夜中に目が覚めちゃったから、おさんぽしてたの」

 途惑いながら、教会を指差しては正直にそう答えた。嘘などつけるような雰囲気ではないし、とてそんなつもりはない。ふっと、前にも似たようなことがあったなぁと心の片隅で思い出す。

「…ちゃんは嘘なんてついてないと思うけど」
「そのようですね。失礼しました」
「ううん、いいの。こんな時間に出歩いてれば、誰だって不思議に思うよね」
「――しかし、我等の姿を見られたからには捨て置くわけにもいきません」

 ぶわっ、と唐突に風が舞い上がる。夜風ではない不意の突風に面食らいながらも、ビリビリとした気配には息を飲んだ。
 鎧少女の手の中に何かがある。風はどうやらそこから吹き付けているようだった。それがなんなのかは見る事が出来ないが、ただ事ではない事は理解出来た。

「――セイバー!!」

 緊迫した場を割くように士郎の鋭い声が響く。バッと風を纏う少女の前に立ちふさがり、を背の後ろに匿うようにした。

「あのなあ、こんな小さい子をどうする気だよお前は!」
「ですが目撃者を残しては――」
「さっきちゃんはこの教会が家だと言ったじゃないか。監督役の子供ってことだぞ?」
「…では士郎は関係者だとでも言うのですか?」
「マスターじゃない…とは思う。でもこの子をどうかしようってんだったら、俺は令呪を使うぞ」
「――了解しました、マスター」

 不満げではあるが、セイバーと呼ばれた少女は手の中にあった気配を拡散させた。
 それを確認して、士郎はフゥと小さく息を吐く。肩を貸している怪我人を気遣いながら、に声を掛けた。

「驚かせてゴメンな、ちゃん。お父さんは起きてるかな」
「えっと、キレイの事? キレイはおとうさんとはちょっと違うよ。
 キレイなら多分まだ起きてると思う。礼拝堂に灯りがついてるから」
「あー… そっか。そういやここってそうだったっけ。へんな事訊いちゃってゴメン」
「? おにいちゃん、何もヘンなこと訊いてないよ」

 士郎の言動が完全に理解できず、は眉を顰める。確かに言峰はの父親に近いポジションではあるが、完全なそれではない。だから違う、といっただけなのだが、どうにもそれが真っ直ぐには伝わっていないようだった。
 苦笑いを浮かべる士郎は何も言わず、少しだけの頭を撫でる。そしてそのまま怪我をしている女性を背負うようにして礼拝堂へと向かってしまった。
 広場に残されたのはとセイバーだった。彼女は途中まで士郎の背に従っていたものの、礼拝堂まで付いていく気はないらしく、無言でその扉の脇に佇んでいる。
 周囲は先程の男女の言い争いが嘘のように静まり返っていた。何となく、沈黙が耳に痛い。
 セイバーはやはり警戒をしたままであるらしく、ピリピリとしたオーラを纏っていた。
 先程の士郎のそれもそうだったが、このセイバーの態度の理由はもっと判らない。

 初対面の相手とはいえ、どうして彼女はいきなりあんなに怖い顔をしていたのだろう。笑った方がお互い楽しいだろうに。

 そんな事を思いながら、じっとはセイバーを観察する。
 月明かりをキラキラと反射している金色の髪、静かに閉ざされている目蓋と唇。
 主の身体を守る装束はまるで御伽噺に出てきた騎士様のように感じる。ここに一本の剣があれば、まるで物語の挿絵のように思えただろう。

「――何か言いたい事でもあるのですか?」
「えっ?」

 よもや声をかけられるとは思わず、不意を疲れた形になっては間の抜けた声を上げてしまった。
 セイバーは片方の目だけを開け、の方に視線を投げる。

「先程からずっとこちらを見ていれば、何かあるのかと思うのが普通でしょう」
「えっと… きれいだなー、カッコいいなーって思いながら見てたの。ゴメンね」
「…………」
「あ、でも。訊きたいこともあるよ?」

 無言で押し黙るセイバーに、は慌てたようにして言葉を付け加えた。怒らせてしまったかと不安になる。
 だがその思案は杞憂だったようで、セイバーは小さく息をついた後に両目をしっかりと開いた。

「…先程の無礼の侘びです。多少の事であれば答えます」
「えっと…じゃあ、監督役ってキレイのこと?」
「そうです」

 先程の二人の会話は聞き覚えの無い言葉が沢山あったが、唯一自分と関連付けられそうなものがそれだった。
 コクリ、と頷いて少女騎士は応える。それを確認して、は次の質問を口の端に乗せた。

「ここにはキレイに会いに来たの?」
「…私がではなく、シロウがですが。それも先程の女性の治療の為にやむを得ずです」
「いっぱいケガしてたもんね… でもね、きっとキレイだったら治してくれるよ!」
「――あなたは彼が治癒できると知っているのですか?」
「うん。わたしも治してもらった事あるよー」

 あっという間だった! と、どこか誇らしげには答えた。
 そこでふと思い出す。目蓋にちらつく血塗れの女性。何故そうなったのは判らないが、一目でひどい状態だとでも理解出来た。素朴な疑問に首を傾げる。

「…でもあのおねえさん、どうしてあんなケガだらけだったのかな」
「――知らないほうが良い事もあります。少なくとも、今のあなたにはなんら関係のないことだ」

 セイバーの言葉が胸に突き刺さる。
 同じだ。ランサーと同じ意味の言葉で突き放される。あの時の彼の目も、今の前にいる人物とそっくりな色をしていた。
 冷たく、酷薄で――そのくせ、どこか寂しそうだった。

「……それ、わたしが子供だから?」

 気がつけばそんな言葉を吐き出していた。ぶつける相手も違えば、お門違いにも程がある疑問だが、今のの中ではそれが大きなウェイトを占めてしまっていた。
 自分の中の堤防がぷっつりと切れてしまったことを感じる。セイバーの言葉が引き金であった事は間違いない。

「そうやって仲間外れにされるのってすごく寂しいよ。
 わたしは心配したいだけなのに、そういって心配もさせてくれないの」

 感情をこうも激しく吐露するのは初めての様な気がする。それも見知らぬ、つい先程あった人物になどとは言語道断だ。
 は今にも降り出しそうな己が瞳を、意地や力を総動員して押し込めた。出るはずだった涙の代わりとばかりに叫ぶ。

「どうすれば仲間に入れるの? もう知らないのはイヤだよ!!」

 強くそう言葉を言い切る。一気に言葉を綴ったせいか、少しばかり息が切れていた。
 小さく上下するの肩に、そっと手が添えられる。のそれよりやや大きな手はセイバーのものだった。深い翠の瞳は僅かに伏せられている。

「…あなたの事情に何があるかは判りませんが、先程の言葉は辛いものだったようですね。申し訳ない」
「ううん、わたしのほうこそゴメンナサイ…」

 少女を気遣う言葉に、するりとその対となる侘びが零れる。
 心の中を申し訳なさでいっぱいにしながらも、荒れた感情はまだ完全には治まっていなかった。勢いのまま台詞が突いて出る。

「――前にね、似たようなこと言われたことがあって…おまえには関係ないって。それがすごく、すごくさびしかったの」

 そう――きっと寂しかったのだ。
 短い間ではあるが、共に同じ屋根の下で過ごした。はランサーの事を『家族』だと思っている。それは言峰やギルガメッシュも同様だ。少女は『家族』というものを持った事はなかったが、きっとそれは暖かく、楽しいものだと思っていた。だから彼らは『家族』だ。
 だからこそ、ああやって冷たく突き放されたのがどうしようもなく寂しかった。左胸の奥がじくじくと痛み、言葉に出来ない感情が湧きあがった。
 もうあんな言葉は聞きたくなかった。それを伝えたかったのに、あの時には言えずじまいだった。だからこそ、セイバーの台詞にも過剰に反応してしまったのだろう。

「……おそらく、その者はあなたを巻き込みたくなかったのでしょう。
 私が言葉を閉ざしたように、理由を話せば何か危険な事に関わらざるをえない。そう思っての事だと思います」
「…うん」

 セイバーの言葉は静かなものだった。一つ一つを噛んで含めるように、じっくりと諭してくる。その心遣いがありがたかった。
 不意にセイバーの手に力が篭る。はっとが顔を上げれば、真剣な表情で彼女が真っ直ぐな眼差しをむけていた。

「――それでもなお、あなたが知りたいと思うのであれば躊躇はしないことです。
 迷いは時に致命的なものになります。危険と判ってもそこから更に踏み込む勇気を持つことが重要です」

 助言じみた彼女の言葉に、の咽喉が鳴る。それはとても真摯な言葉で、胸の奥まで染みわたるようだった。

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