暫らくして士郎は礼拝堂から出てきた。「風邪を引かないようにね」と言い残し、彼はセイバーをつれて己が家へと帰っていった。
彼らが運び込んだ女性は言峰が応急処置を施し、先程教会の息のかかる病院へと搬送されていった。神父に尋ねたらば一命は取り留めたらしい。強い魔力を伴うものによる傷で、後数十分到着が遅れていれば手遅れになっていただろうとも。
それにほっと胸を撫で下ろしながら、は礼拝堂の椅子に座っていた。
「――しかし、こんな真夜中に出歩くのは感心しないな」
「う… ごめんなさい」
「日の昇っている内であればどのように早かろうと構わないが、夜――特に深夜は避けるのが懸命だ」
「……はい」
言峰の淡々とした指摘に、は身を縮めながら大人しくそれを受け入れる。
それでもその言葉は少女にとって嬉しいものだった。こうやって忠告をするなど、本当に『父親』のようだと思い、少しだけ口元が緩む。『父親』という存在は本やテレビの中でしか見たことは無いが、こんな風に子供をよく叱っていたように思う。
「…何故笑う。愉快なことなど話しているつもりは無いが」
「え、うーんと… なんとなく?」
へラリ、と笑う少女に、神父は真反対の表情を作った。何故が嬉しそうなのかが理解できないようである。
自身、理由はよく判らないけれど口がにやけてしまうのだからしょうがない。
「――まあいい。
よ。どうやら衛宮士郎とは面識があったようだな」
「メンシキ…」
「知り合いだった、ということだ」
「ああ、うん! 前に一緒に遊んでもらったの」
言いなおされた言葉でようやく意味が伝わったのか、少女は元気よく回答する。
彼女の答えに、ふむと言峰は合点したように頷いた。
「どこで繋がるか判らないものだな。外で待っていた者もそうか?」
「セイバーさん? ううん、あの人は今日初めてだよ」
「――それは金の髪のセイバーか?」
「あ、うん。ギル様とおんなじ金髪でキラキラしてた! ひょっとして…キレイの知り合い?」
言峰が第三者に反応するなど珍しい。そう思いながらも、は尋ね返す。
しかしその反応も、一瞬の後にはいつもの緩やかな笑みに戻っていた。言葉の調子も同じく平坦である。
「さあな。会ってもいない者を髪の色と名前のみでそう断じる事は出来ん」
「それはそうだね。
あっ、そういえば『監督役』ってお医者さんの事なの?」
「…ほう。何故そう思う」
どこか面白そうに神父は訊き返してくる。
先程セイバーに尋ねたかった事柄なのだが、生憎とタイミングを損ねてしまった。今ここで聞いても構うまいと思い口にしたのだが、どうやらそれは言峰の興味を僅かに引いたようだった。
「えーっと、おにいちゃんは怪我したおねえちゃんを治してもらうためにここにきたってセイバーさんが言ってたの。だからそうなのかなって」
「請われればそういった事も行う。
――監視役の本来の仕事は、この街で行われる『聖杯戦争』の動向の監察、ならびに脱落したマスターの保護だがな」
一瞬、あまりの何気なさに聞き逃すところであった。
『聖杯戦争』――言峰は確かにそういった。訊こう訊こうと気が急いていた時には叶わなかったのに、こうしていきなり目の前に話題としてぶら下がると一瞬躊躇してしまう。
しかしこのタイミングを逃せば、恐らくこれ以降知る機会はあるまい。そんな強迫観念にも似た予感がの脳裏を掠めた。
コクリ、と一つ唾液を飲み込んで、決意を固める。
「――ギル様も同じ事言ってた。
ねえ… 『聖杯戦争』って、何?」
の言葉に、言峰は僅かに目を見開いたようだった。しかし次の瞬間にはすっと表情を細ませる。
ゆっくりと左手を掲げ、聖書の文言を説くように静かに、しかしはっきりとした言葉で神父は問い掛けに答えた。
「それを訊ねるという事は、自ら命を死地へ晒すという事だ。お前にはその覚悟があるのか?」
言峰の発した台詞は、先刻のセイバーの言葉と同じくらいに少女の胸に深く入り込んだ。
――そもそもそれを知りたいと思った動機は、何故自分の身近にいるものが怪我をするのかが判らなかったからだ。
何事かが起きているその中で、の知る情報は極めて少ない。
その中でもっとも強いと思われるカードは、気紛れに与えられたギルガメッシュからの『聖杯戦争がはじまった』という言葉であった。
先程の言峰の言葉にあった『自らの命を死地へ晒す』というもの。これは『聖杯戦争』が魔術絡みの事柄であると暗喩しているように感じた。物騒な言葉と同じく、物騒な世界観の元にあるらしい魔術が反射的に思い浮かんだだけかもしれないが、この勘はきっと正しいとは確信していた。
それを裏付けるのが、先程士郎が連れてきた女性だ。彼女は酷い怪我を負っていた。
あれほどのものならば、普通は救急車なりを呼び病院に搬送するのがセオリーである。しかし、彼はここへ駆けつけた。彼らが礼拝堂内部で何をしていたかなどは判らない。だが、士郎は言峰の治癒が出来る事を知っていてここに来たようであった。
神父の治癒術は魔術である。そして、魔術は魔術師以外のものに知られることを嫌う。つまり――士郎も魔術に関わるものであると考えられる。
あまりそんな印象は無いが――の知る魔術師は言峰と凛のみであるからなのだろうが、魔術師とはああいう性格の人たちだけかと思っていた――これも間違いのないことだろう。
自分の知らぬ闇の中で蠢いている魔術関係のモノ。それが恐らくは『聖杯戦争』に違いないだろう。
そもそも一体何がどういう状況でそうなっているのかサッパリ知るところでは無いが、それでもそれを知り、出来うるなら関わりたいと思った。
何が出来るわけでもないが、それでも知らぬままでいるよりはずっといい。
だが――命を晒してまでの覚悟は自分の中にあるのだろうか。
正直に言えば死にたくなどない。まだまだ知りたいこと、やりたい事は山積みだ。
だからそういわれてしまえば戸惑いがある。危険を承知で現実を知るか、あるいは安穏と現在を続けるのか。その天秤は丁度釣り合っていて、どちらかに一方へ傾くには何かしらもう一つ要素が必要に思えた。
「――覚悟が付いたら、これを持って再び私の前に来るといい」
不意に声がかけられる。いつの間にか俯いていた顔を上げると、少女の目の前にはどこから取り出したものなのか、煌びやかな黄金の杯が掲げられていた。
神父はそれを手にしたまま、いつもの調子でに告げる。
「『聖杯戦争』の名の由来ともなった聖杯を模したものだ。レプリカとはいえ、それなりに価値もある。扱いには注意することだ」
そういって言峰はその杯をの手に渡した。彼の言葉を裏付けるかのように、金色の杯には様々な装飾と宝石が輝いており、重量も結構あった。予想外の重さに僅かによろけながらも、何とかそれを床へ落下させることなく受け取る。
自分の顔が映りこむほどにピカピカな杯をは覗き込む。杯の淵のカーブに沿って顔が歪んで見えた。
「…これが、聖杯」
「本物ではないがな。お前にそれを預けよう、」
言峰の宣言に、改めては聖杯を強く見つめた。
その重みはまるで覚悟そのものに思えるほど、ずっしりとしている。少女の手の中で杯は己が存在を無言ながらも確かに主張していた。