Seventh Heaven

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2/6: Coffin -2-

 聖杯――願いを叶える存在。
 人々はそれを焦がれ、奪い合う。

 しかし、何故争うのだろう。自分のお願いが叶ったら、他の者に譲ればそんなこともおきないだろうに。そうすれば皆で幸せになれるだろうに。

 そう心底から不思議がり、は眉と口をへの字に曲げた。
 自分だけが幸せでも、周囲の皆がそうでなければそれは本当の幸せではないとは考えていた。だからこそ、中には『自分さえよければそれでよし』という種類の者がいる事が想像できなかっただけだ。

 夜も更けた礼拝堂で一人佇む。レプリカは静かに窓から差し込む月光をその身に受けていた。
 日が沈み星が瞬く時間になると、再び思考は廻り始める。昼間も音の少ない丘の上だが、夜ともなればそれは増幅され、ただただ耳に染み入るほどの静寂が辺り一体を包み込む。
 普段であればどちらかといえば賑やかなところが好きだが、そちらはこういった考え事には少々向かない。だから、この場所の静けさは悪くないと思う。
 自分の内に問い掛ける。それはもう何度目か知れぬモノだ。
 聖杯戦争と覚悟。ただ心配したいという気持ちから始まったその問いは、様々に膨れ上がった情報や感情と絡まって酷く複雑な様相を呈していた。

 思考の海へと深く深く沈んでいただったが、それを十戒の如くかき分けるような音がいきなり響き渡った。
 はっとして首を音の方へと向ければ、扉が大きく開き、息せき切った二人の男女が転がり込んでくる。薄らとした月を背負う見覚えのあるシルエット――凛と士郎だ。とっさには聖杯を自分の背に隠した。
 彼らはの姿に同時に「あっ!」と声を上げるがそれだけだった。どうやら二人は慌てているらしく、少女のとっさの動作にまで気を配れなかったらしい。二人からすれば面識のある相手がこんな時間にどうして、といった驚きの声だろう。

「――綺礼を呼んできて!」
「う、うんっ」

 恫喝に近い凛の声に、跳ね上がるようには腰掛けていた椅子から立ち上がる。そのまま大慌てでは中庭に出る扉を開け――ドン、と何かにぶつかった。
 痛む鼻の頭を抑えながら顔を上げれば、いつの間に現れたのか言峰がそこには居た。彼はまずに目を向け、次いで士郎と凛へ視線を回す。事態を把握したのか、ゆっくりとその歩みを来訪者へと向けた。振り向きもせず、後ろの人物に簡潔に告げる。

「部屋に戻るがいい。直にここは忙しくなる」
「――はい」

 こくん、とは一つ頷いた。後ろ手のままぺこり、と二人の客に礼をして何も言わずに礼拝堂を出る。扉は重い音を立てながら閉まっていく。
 そのまま大人しく、は自室へと戻る――と見せかけ、ぺたりと扉に半身を張り付かせた。門扉は閉ざされたままであったが、僅かながら音が漏れてきている。意識をそちらだけに集中させれば、大体のやり取りは把握できるだろう。

 今までこのような事はした事はなかったが、今はこのぐちゃぐちゃの自問自答を解すための何かが欲しい。何しろこの教会の主たる言峰は聖杯戦争の監視役だ。こんな夜半に彼を訪ねてきたという事は、それ絡みである可能性が極めて高い。
 言い付けを守らず、コソコソとしたこの行為に少々の罪の意識はあるが、それには目を無理矢理瞑った。
 まるでそれに従うように、上空から届けられていた月の光がすうっと陰る。雲間にでも入ったのだろうか――僅かな思考の隙間でそう思いながらも、感覚の大部分は音声把握に当てていた。
 普段であれば、好奇心旺盛なである。周囲を見渡すくらいの注意力を所有してはいたが、今宵はそれが命取りとなった。

「――盗み聞きか。味な事をしているな」
「ひあ!?」

 ふ、と何者かに息ごと言葉を耳に吹きかけられる。ばっ、と手で耳を塞いで身体を回転させた。
 手を伸ばせばそれこそすぐにでも抱きつけそうなほどの至近距離、いつの間に現れたのやら月影の薄暗がりに立つは英雄王。逆立てた金髪が隠れた月の代わりにと淡く輝く星の光を映している。
 ギルガメッシュは壁と己の身体の僅かな間にを挟むような位置に立ちふさがっていた。狭苦しさを覚え、そこから逃れようにもいつの間にか左右は彼の腕が邪魔している。逃げ場のない獲物を上から覗き込むような男の口元は緩い三日月を模っていた。
 その表情に何故だか判らないが、の耳はカイロでも取り付いたのかと思うほど発熱する。いつもと違うと言えば髪形くらいなのにどうして、と自問自答する側から全身に熱が急速なスピードで回った。もはや耳だけではなく、身体全体が朱色に染まってしまったようにさえ感じる。

「ぎ、ぎ、ぎ、ぎるさまっ」
「フッ、どうした。我に構わず聞き耳を立てるが良い」

 思わずどもりまくって話せる言語が平仮名のみになってしまっているを、さも面白そうにギルガメッシュは焚きつける。パクパクと酸素を求めるように口を開けていたが、ハッとは我を取り戻してブンブンと大きく首を横に振った。

「だ、だめ。コッソリは悪いことだもんっ」
「我にも気付けぬほど熱中しておいてその言い草か。ハッ、随分と矛盾しているな」
「でも――」
「…なに、言峰には告げぬ。王たるものその程度の慈悲は持ち合わせているぞ。
 であるから存分に――やれ」

 最初は普段からは想像できぬほどに優しく溶けるような甘言を囁き――しかし最後はやっぱりむやみやたらとキッパリ、かつ傲岸不遜に金ピカ様は命を発した。口調の素早い切り替えはまるで役者のようでもある。
 はあーとかうーとか言いつつ、自分の手の中のレプリカとギルガメッシュの顔、そして扉を代わる代わる見た。ゆらゆらと意識の天秤は頼りなく動く。揺れる少女の瞳をゆっくりと愉しむように見据え、ギルガメッシュは己が手を伸ばし、レプリカの淵にその指を這わせた。唇を再びの耳元に寄せ、囁く。

「――知りたくはないのか?」

 低く綴られたその声音は、まるで爆弾のようだった。罪悪感や羞恥といったモノが粉々に砕ける。粉砕されたそれらはガラガラと音を立てて瓦解し、崩壊するそれに飲まれつつもはきっと歪む赤眼を睨み返してその身を捻った。
 そして――片手に聖杯を握ったまま、ぺったりと耳と扉が同化せんばかりに張り付ける。後ろでくつくつとした笑い声が聴こえるが黙殺することにした。するといったらするのだ。 
 内心思い切り不満は積もっていくが、今の優先順位は情報だ。外野に構わず意識を礼拝堂へ向けるよう努める。だがその肝心の男はと言えば、あいもかわらずその腕の内にを収めたまま、楽しげに言葉を綴っていた。

「今日は存外素直であるな、
「…ギル様の為じゃないもん。自分の為なんだから」
「だがそれが我の意に沿うのであれば構わぬ」

 言いつつ、ギルガメッシュはの髪を一束掬った。
 流石にこれにはもギョッとする。ありえない。一体何事だ。酩酊でもしているのだろうか? 否、アルコールの匂いはしない。
 様々な憶測が頭を駆け巡ったが、茹った後のそれではどうにも上手い結論が出てはこなかった。結局意識を音声に向けることを諦め、少女は背後の王に訝しげに訊いた。

「――ギル様、何かあったの?」
「何故そう思う」
「誰だって思うよ。だってすっごいゴキゲンだもん」

 理由は全く持って判らないが、英雄王はどうやら酷くご機嫌のようだった。普段であれば、ここまで積極的に彼はをからかったり、触れたりなどしない。しかし今宵は過剰なほどに弄ってくる。
 寄りによってこんな時でなくてもよいだろうに、と少女は小さな肩を落とした。全く持ってタイミングが悪い。こういう時でもなければ、それを逆手に取ってコチラから仕掛けてやるというのに。
 しかしの心中など察することが出来るわけもなく、ギルガメッシュはさも愉快そうに上機嫌たるその理由を語った。

「なに、簡単なことよ。久方ぶりに我が蔵を開け放ってきただけの事」
「…くら?」
「そうだ。取るに足らぬ相手とはいえ戦事は十年ぶりだったからな。さしもの我とて高揚する」

 戦事――その物騒な単語に、の心臓がちくりと痛んだ。
 嫌な予感がする。訊くのが怖い。しかし訊かずにはいられない。
 そっと、首だけを彼の方へ向けた。緩い笑みを浮かべたままのギルガメッシュに、先刻の台詞の続きをせがむように訊ねた。

「――それって」
「そうよ。この我も聖杯戦争に関わる者だ」

 英雄王の言葉は予想していたものだった。だからと言ってそれに納得できるかといえばそうではない。
 聖杯をめぐる戦争――命のやり取り。生命その物を賭してまで得ようとする願い達の争い。この冬木の街の裏側で行われているであろうモノ。
 まさかギルガメッシュもそうでは…、とは考えていたが、よもやそれが事実だとは思わなかった。否、思いたくなかった。

 今度もまた否定をされてしまうのだろうか。来るな、関わるな、と。
 それはイヤだ。絶対にイヤだ。そんなもの認めてやらない。

 背後のギルガメッシュを真正面から見据えたい。必要ならば泣き喚くことも辞さない覚悟では今一度身体を動かす。
 とにかく何か言いたかったが、生憎と言葉が出てきてくれなかった。その代わりとばかりに目線に意志を詰め込めるだけ詰め込む。
 薄闇の中で爛と光を放つ赤い瞳。その双眸をこれでもかと睨みつけてやった。ゆっくりとそれが細められ、唇が動き出す。

「――我の役目はそれを語ることではない」
「…………ッ」
「関わろうとするのは貴様の勝手だ。止める気も毛頭無い。
 だが、そうするからにはそれなりの手順を踏め。貴様の手にしている贋作はそのためのものであろう?」

 言ってギルガメッシュはつまらなそうに聖杯の側面に指を置いた。先程のようになぞるわけでもなく、そのままグイと力が前方に込められる。当然、杯はの側に戻され、少女の小さな胸に押し付けられた。
 僅かな痛みを感じさせるほどに力が込められている。痛い、と抗議の声を上げようと微かにの口が動き出すその前に、王は言葉を被せた。

「己が道くらい自分自身の意志で決めろ。そして貫け。邪魔だてるものは蹴散らせ。そうでなければ――飲まれるぞ」

 先程までのからかい混じりのそれではない、真摯なまでのギルガメッシュの言葉に、何故か昨夜のセイバーの台詞が重なる。接点などないはずの二人の言葉がオーバーラップするのが酷く自然に思えた。

 そして、唐突に悟りを得る。今の少女に足りないものは――覚悟を貫く勇気だ。

 他者を想う事は、自身の意識を自分以外に預けるということ。
 それは命の欠片と言ってもいいだろう。己の破片を預けるには覚悟がいる。何しろ片端とはいえそれは生命だ。覚悟もなく半端な気持ちで心配されたらそれは大変な迷惑、足手まとい、身の程知らずと言えよう。
 成る程、ランサーの言葉は正しかった。そんなもの背負いながら戦って無傷でなどいられない。

 聖杯を持つ手はいつのまにかじっとりとしたものが滲んでいた。僅かではあるが夜気が握った手の中にも入り込むのが判る。その冷たさが今は心地良いほどには高揚していた。
 先程のような理由でではない。脈動は酷く跳ね上がっている。それはきっと、答えを得たという確固たるものがの情を燃やしているのだ。
 ちっ、と舌を打つ音が聴こえる。見れば、眼前の金色の男が苦虫を噛み潰していた。

「…理を与えすぎたか。我とした事が迂闊であった」
「ううん、ありがとう。すごく今更だけど…おかげでやっと判った」

 ぎゅっとレプリカを抱きしめる。
 賭けてやろうじゃないか。聖杯戦争へ勢いつけて、踏み抜かんばかりの勢いで介入しよう。
 一旦関わってしまえば後戻りは出来ないだろう。だがそれがどうした。今この時だってどんどんと時間は流れ、過去になど戻れはしない。ならば一刻も早く!
 そしてただ関わるだけではない。願わくば――

「――ランサーやギル様の役に立ちたいよ」

 命なんて大きくて唯一のモノを賭けるのだ。それくらい望んだって罰は当たるまい。
 心配は当然するとして、どうせなら誇ってもらえるように。
 一際強く聖杯を抱きながら、は夢見るようにそう呟く。少女の言葉に、対面の男は一瞬目を見開いたが――

「…ッく、はっはっはっはッ!!」

 夜空を仰ぐように顔面を上げ、大きく吼えるかの如く笑い声を上げた。
 派手なその仕草に、少女は慌てたように言葉を告げる。

「ぎ、ギル様ッ! 中に聴こえちゃうよ!」
「構うものか、これが笑わずしてなんとする!
 よい、気に入った。久方ぶりに腹の底から笑ったわ」
「な、何かおかしなコト言ったかな、わたし」
「気付いておらぬなら良い。その虚弱貧弱無知無能の割に愚昧なまでの大口は嫌いではないぞ」
「……むずかしい言葉ばっかりでよく判らないけど、それってつまりわたしのことバカにしてる?」
「ほう、そのお目出度い頭でも輪郭だけは察せたようだな。褒めてつかわす」
「ひどーい!」

 瞬間的な怒りに任せて、思わず手にしていた聖杯をブンと振り回す。弧を描き、丁度ギルガメッシュの咽喉仏あたりに当たる筈だったそれは、その軌跡の途中で大きな手に阻まれた。
 その手の出所はどこだと、は目で根元を探ると――

「――こらこら。ンなモン振り回すなよ」

 半分だけ開かれた扉の向こう、手を伸ばしていたのは青い槍兵だった。呆れ返っている意外な乱入者にが抗議の声を上げる。

「放してー!」
「放したらこいつでギルガメッシュぶん殴るつもりだろ」
「もちろん!」
「殴ること自体は賛成だが、そいつでやるのは止めとけ。なんなら代わりにオレが殴ってやるぞ」
「勝手なことを言うな雑種ども」
「テメエも馬鹿笑いするなよな。あいつら帰ったあとだったからよかったものの…」
「――ああ、やはりまだいたか。凛達を早めに返して正解だったな」

 姿は見えないが、ランサー越しから言峰の言葉が聞こえてくる。どうやら完全に見抜かれていたらしい。
 少しばかり居心地の悪さを感じながら、えへへと誤魔化し笑いを浮かべた。

「まったく… ニセモノとはいえ、聖杯で英霊ブッ叩こうだなんて思うヤツはくらいだな」

 その表情に苦いものを浮かべつつ、ランサーは聖杯を手放す。解放された金の杯をしっかりと己の手に握り締め、は身体を半分動かした。じっと上にある彼の目を見上げる。

「――ランサー」
「…決めたのか?」
「うん。ごめんね」
「いいさ。それが嬢ちゃんの意志だってんなら、オレには止める術がない。
 だが…関わって欲しくなかったのは本当だ」

 脅し足りなかったかね? と冗談めいた口調でランサーは言う。そんな彼の足をぺちっと平手で叩いてやった。痛ってぇなあ、とか文句言っているが聞いてやらない。ぷい、とそっぽを向いてやる。

「ほら、機嫌直せって。言うことあるんだろ」

 ぽんぽん、と促すように優しく頭を叩かれる。まだ少しだけ斜めの気分だったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
 小さく一つ頷く。杯を抱いたまま、ゆっくりと礼拝堂の中へ足を進めた。槍兵が抑える扉をくぐり、僅かに靴の音を石床に響かせながら歩く。少し離れた後ろから、ギルガメッシュが後に続いている気配がした。
 程なく、少女は神父の眼前へと辿り着く。ぎい、と重く寂びた音がして後方で扉が閉じた。
 ステンドグラスからは再び顔を出した月明かりが色を変えて降りこんできている。見上げた漆黒の神父は夜の虹をその背に背負うようでもあった。
 少しだけそれに目を細め、は迷う事無くはっきりと告げる。

「――聖杯戦争について教えて」

 輝く杯を高く高く掲げる。それを男は恭しいまでの優しい手で受け取って、それを月明かりに晒した。

「それがお前の望みであれば」

 神父は底の知れぬ視線での宣言に応える。
 彼の手の中にある偽の聖杯は更にとりどりの光を反射し、まるで自分こそが本物なのだと主張しているようだった。
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