Seventh Heaven

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2/6: Coffin -3-

 奇跡を夢見た魔術師がいた。
 永久の命を望んだ魔術師がいた。
 可能性を果てなく求めた魔術師がいた。

 三者はそれぞれの思惑で、冬木の街にある儀式を持ち込んだ。
 それが――聖杯戦争。
 古より伝わる聖遺物。全ての願いを叶えるという願望器。
 聖杯戦争には器を得る資格をもつ七人のマスターがいる。マスターらは仮起動している聖杯の助けを借り、過去の英霊を再びこの世に呼び寄せ、召使――サーヴァントとして己の剣、あるいは盾として使役する。
 サーヴァントは魔力を糧として生きるもの。その身の大部分は霊的なもので構成され、それ故現世に留まるためにはマスターの存在が不可欠となる。契約を媒体とし、魔術回路を通して魔力を供給する。

 そして英霊とは、過去の歴史・神話において人々を救い、あるいは世界を救った者達が死して崇められた存在。その霊格は高く、精霊と肩を並べる者もいる。彼らは『サーヴァント』として召喚され、この世に現界する。その際にその特性に従い七つのクラスいずれかに割り振られるという。
 無論――彼らとて好き勝手に呼ばれ、無償で動くわけではない。英霊達にも生者と同じく望みがあり、それを実現するためにマスターと契約を結ぶのだ。あるものは再び心行くまで戦うため、あるものは嘗て救えなかった祖国の為――といった具合である。

 その使役者よりも使い魔の方が強いという狂ったパワーバランスは魔力の供給ともう一つ、あるものによってその均衡を保っていた。それが令呪――三度に限り、英霊本人の意思に関係なく、命令を下せるという魔術刻印だ。
 聖杯を手に入れられるのは一組のみ。
 故に――争う。皆、己が望みの為にその命を灯して戦争へと赴く。そのためのサーヴァントシステムだ。

 冬木の街を舞台とした聖杯戦争は過去に四回。今までは六十年周期で行われていたが、今回は事の他早く十年という短いタイムラグで勃発した。何らかの原因があるかもしれないが、それは全て憶測の内である。
 この聖杯戦争は魔術師だけが知っているのかといえばそうではなく、教会――魔術師たちと対立する者の一派らしい――も多少関わりを持っていた。それが監督役だ。
 問題なくこの大掛かりな魔術儀式が執り行なわれるかを監察するのが表向き。隙あらばそれを奪うことが本来の目的だという。聖杯の名を関する以上、それは教会が管理すべきものだというのが彼らの主張とするところだ。
 この点において、言峰は異質の監督役だった。教会側に組すると見せかけ、教会内で禁止されている魔術を嗜み、挙句前回の聖杯戦争においてマスターとして参加している。本人の弁によれば『私が仕えているのは組織ではなく神である』から問題ないらしい。

 その際のサーヴァントが――ギルガメッシュ。クラスは弓兵・アーチャー。弓を引くところなど見た事もないが、どうもそれぞれの特性に合わせてこの役職は割り振られるらしい。
 この聖杯戦争において弓のクラスを示す特性は、単独行動・偵察・洞察・ロングレンジなどなどだ。単独行動は彼に似合う気はするが…と、密かには心の中で首を傾げた。
 そもそも何故彼がこの世に身をおいているのか――彼が召喚された第四回の戦争は十年も前に既に終結している。しかも望みが叶ったか否かの前に、聖杯戦争が終結した段階でマスターとサーヴァントとの契約は打ち切られるのだという。
 だがその契約はいまだ有効で、故に彼はこの世に留まり続けている。ギルガメッシュ本人にすれば気紛れで残っているらしいが、それ以上は彼も主人たる神父も答えようとはしなかった。

 そして、ランサー。彼は今回である第五回における言峰のサーヴァントだ。
 最初に彼を呼び出したものは別の者だったらしいが、事情あって言峰と再契約をしたというのが彼の主張だった。それを語るランサーは酷く不機嫌であり、その裏に何かしら事情があるのがありありと判った。サーヴァントはマスターなしにこの世に留まる事は難しい。それ故だと嫌悪感を隠さず槍兵は言い切る。
 ランサーというのはクラス名で、その名の通り槍の騎士を示している。本来の名は別にあるが、それを明かす事は出来ない。名を知られるという事は同時に弱点を知られることでもあるがためだ。ギルガメッシュのような場合が特殊なのだと神父は語る。何しろ第五回にも同じくアーチャーは存在する。
 槍兵の特化した能力はスピード。瞬発性に優れ、死地においても生き残りにかけては一級品。身体能力も劣化した部分は少なく、潰しの利くクラスだという。


 そこまでをつらつらと語り、神父は不意に言葉を止めた。礼拝堂内は急に静寂に包まれる。時折吹く強い風が、微かにひゅうひゅうと壁越しに唸り声を上げていた。
 の望み――聖杯戦争についての事柄は膨大なものだった。全てを理解する事は難しく、今はただ深くまでは察せられない情報の羅列を頭の中に叩き込むほかない。オーバーヒートしそうな脳内処理に必死で食らいつく。
 解説役は主に言峰だった。彼は淡々と、そして理解出来るようにとの配慮なのか、それなりに平易な言葉でに語りかける。ランサーは時折言葉を挟んできたが、ギルガメッシュにおいては殆ど傍観者に徹していた。酷薄な笑みを浮かべ、愉快そうに彼らのやり取り――殆ど情報の一方通行だったが――を眺めている。

 故に、この僅かな間は貴重だった。こんがらがる情報の断片を出来うる限り整理する。
 最初に取り付きやすい事実から考えてみた。まるで人間そのものだが、ギルガメッシュとランサーの二人は人間ではなく、霊的に上位にある存在ということらしい。ちら、と二人の姿を盗み見るが、やはり人間に見える。
 確かめるようにぺたり、と隣に座っていたランサーの腕を触った。確かな肉の感触がする。自分のように柔らかくは無いが、しっかりとした張りがあり体温もあった。

「…不思議」
「まあ、簡単には信じられないわな。だが、普通の人間にはこういう芸当は出来んだろ」

 言ってランサーは、すぅっと触られていた腕を空気に透けさせる。唐突になくなった感覚に、はギョッとしたように手を引っ込めた。まじまじと何もなくなってしまった空間を見やる。恐る恐ると再び手を伸ばし、空気をかいた。
 肩からバッサリと片腕を無くした槍兵は、自身のその場所を示す。

「基本的にオレらサーヴァントは霊体だからな。こうやって姿を見せなくすることも可能だ」
「うーわー。オバケさんだー」
「オバケよりもうちっと偉いが…まあ、分類的にはそう間違いはないな」
「そうかぁ… ホントに、わたしたちとは違うんだね」

 しみじみと、少女はそう言葉を漏らす。
 超人的な身体能力の一端として、人間としては考えられない跳躍や怪力を垣間見せたことが日常でもまれにあったが、何しろの世界の中心はこの教会。基準が三名しかなく、それを当たり前の事だと受け取っていた節があった。
 こうして実際に『人間外』だと証明されてもなお、にわかには信じがたいが――嘘を吐くような人たちではないから、これも変えようの無い事実なのだろう。

 彼ら二人のやり取りを観察しているかのように言峰は暫らく黙していたが、やがてふっと微かに口元を歪めた。その気配にがはっと口を閉ざす。気持ちを切り替え、与えられる知識に僅かに身構えた。

「――ある意味では元々お前は聖杯戦争の関係者だ」
「えっ…?」
「お前がここへ連れられた理由を辿れば、自ずと聖杯戦争へと辿り着く。
 …その一人として、確かに知る権利があるのかも知れんな」
「それって、どういう意味??」

 突然語られた言葉に、は戸惑いの声を上げる。今までの内容も意味が判らなかったり理解できなかったことが多くあったが、これはその中でも飛び抜けていた。

 自分は聖杯戦争とは全くの無関係ではないのか。だからこそ一度拒否されたのでは?

 疑問符を浮かべる少女に、神父はただ言葉を綴るのみである。

「それが知りたければ私についてくることだ。
 だが、これは権利だ。故に放棄することも出来る。知って後悔するも、知らずに後悔するもお前の自由だ」

 言峰はそういって、ゆっくりと歩き始めた。その背をは迷う事無く追いかける。

 覚悟はつけた。勇気もある。今更何を。
 唯一怖れるのであれば――何も知らぬことを怖れる。

 少女を伴ない、室内を後にしようとする寸前、言峰はその足を止め、後方の男にまるで世間話をするかのような気安さで台詞を放った。

「ギルガメッシュ。お前も来るがいい」
「ふむ、よかろう。主たる我が出向くのも久々であるしな」
「…………」

 謳い上げるようなギルガメッシュとは反対に、チッと、あからさまにランサーが舌打つ。対照的な態度にはいぶかしむように眉を顰めた。
 聖杯戦争の説明の間中――いや、その途中からランサーはあからさまに機嫌が悪くなっていた。何が理由かは知らないが、相当に気に入らないことがある様子で、今の会話もまたその一つのように感じた。

「…オレも行くぜ。構わんだろ」
「好きにするといい」

 刺々しい口調のままのランサーだったが、それを言峰は気にはしていないようだった。否、むしろ楽しげでもある。
 再び歩を進める言峰の背を追い、は礼拝堂を出た。その後ろからはサーヴァントと呼ばれた彼らが従うように付いて来る。
 一行はただ無言で巡礼者の如く歩み続ける。先頭の言峰は中庭の死角にある階段をゆっくりと下り始めた。それに続きながらも、は内心酷く驚いていた。この教会に住まうようになってそれなりの時間が立つが、目立たぬところに入り口があるにせよこのような場所があるなどとは知らなかった。

 下りきったそこは空気の冷たい場所だった。いや、空気がではない。漂う気配が氷のように冷え切っていた。
 上にある礼拝堂と似てはいたが――纏うものが違い過ぎる。ここは酷く異質だ。
 しかし本来の目的地はここではないらしい。神父の歩みは止まらない。聖堂の奥、ぼやけた明かりの灯るそこへ男の足は向いている。

 ぞく、と背に予感が走った。否、正確には予感ではない。既視感だ。
 この気配を少女は知っている。この空気をは覚えている。
 足が止まりそうになる。頭のどこか違う場所から『止まれ』と信号が発せられている。
 それでもこの歩みを押し留める事は出来ない。本能を意志で捻じ伏せて、は徐々に暗がりへと足を伸ばす。進むに連れ、空気はどんどんと重く、湿ったものになっていっていた。
 高山にでも上っているかのように呼吸がしづらい。粘つくそれはなかなか上手く肺に入ってくれない。それでも、なんとか少女は神父の後に続いた。必死で手足を動かし、進み――ある場所で彼らは留まる。
 言峰はすっとその手でその場所に居並ぶモノを示した。
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