Seventh Heaven

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2/6: Coffin -4-

「さて――ここが本来お前がいるはずだった場所だ」

 示された場所は光ゴケでも生えているのだろうか――全くの闇というわけではなかった。
 床や壁はコンクリートや石で覆われているわけでもなく、ほぼ剥き出しの状態だった。その床に幾つもの土山がこんもりと盛られている。

「この場にあるものはお前の兄や姉と言っても差し支えなかろう」

 ふらふらと、幽鬼のような足どりで導かれる。恐る恐る盛られた土を覗き込むと、そこには安置されているのは――嘗ては人間の子供であったであろうモノがあった。がらんどうになってしまった眼窩には、底がないかのような昏い闇が沈んでいる。眼球無き瞳はそれでも愚直なほどまっすぐに前を見ていた。
 カサカサに乾き、ひび割れた唇からは僅かながらではあるが空気の漏れる音がする。どう贔屓目に見ても生きている気配がないのに、それでもまだ命は無惨なほどこの身体に封じられていた。
 頭の中で声のような者が反響している。甲高く、時に声高に。それらは叫ぶように感情を露出させていた。

 何故、どうして、何処、痛い、苦しい、渇いた、寒い、暗い、助けて、殺して。

 ――あの夢と同じだ。

 時折見た『怖い夢』――真っ暗で、冷たくて、『おいで』と呼びかける夢。
 この場に入ってからひっきりなしに感じていた既視感の正体はそれだった。いや、正確には既視感ではないかもしれない。何しろ今ここにうずまくモノは、朧げな夢などとは比較にならぬほど力強い。
 湿った床に膝から崩れる。ぺたんと力無く座り込んだ。

「サーヴァントは元人間、そしてその糧は魔力。先程そう説明したな?
 人間霊である彼らは生前のころのように大源を利用する事は出来ない。あくまでも自身の内部にある魔力のみ行使できる。サーヴァントがマスターを必要とするのは、契約により繋がったラインを通じてマスターから魔力供給を受けるためだ。
 そして魔力とは命、あるいは強い思念を伴なって発せられる感情。故に――人が食物を食み生き長らえるように、英霊は魂を食んでそこに存在する」

 言峰はなおも語る。呆然とする意識の片隅に神父の台詞が刻まれていく。
 胃の辺りがモヤモヤする。この場所で呼吸した空気自体が体内で形を取り、内側から直接侵食されているような幻を感じる。沸きあがってくる嘔吐感を懸命に堪えた。
 の目からはボロボロと水分が零れ落ちている。咽喉がしゃくりあげぬよう、必死で口元を抑えた。

「聖杯戦争が終結し、当然ながらマスターらに供給されていた魔力源は消滅した。召喚時のままの力を維持するためにここは作られたのだ。
 十年前におきた――新都での大火災。その厄災で親を失った孤児らを使ってな」
「だが十年だ。こやつらも磨耗し、得られる糧も少なくなってきた。
 故に我は新たな滋養となる贄を求めた。そしてこの《棺》へつれられてきたのが――お前だ」

 言峰の言葉にギルガメッシュが続く。どこか愉悦を含んだ――そう、の絶望にも似た驚愕の感情を楽しむように真実を綴る。
 逆流した胃液に焼かれた咽喉が痛い。しかしそれよりも痛む場所がある。左胸の奥、命を刻む臓器がギリギリと万力で締め付けられているかのように悲鳴を上げている。
 頭の中は流れ込んでくる思念で弾けてしまいそうだった。自分という存在が崩れそうだ。
 ただ強く、ギリと唇を噛み締め、血を吐くほどに言った。

「何で、こんなこと…ッ」
「それを聞くか、雑種。貴様とて補給なしにその命を繋げてはおれまい。我らの糧がただ命というものであること、ただそれだけであろう」

 回答は至極あっさりとしたものだ。何を当然の事を、とを見下ろすギルガメッシュの目は冷たい。

「もとよりこの世の全ては我のものだ。自分のものをどうしようと誰に咎められるわけでもない。
 万が一にでも意見するのであれば、我と同等かそれ以上でなくてはいかん。もっとも――そのような者は既に存在せぬ」
「――予想外とすれば、お前の勘の良さはそうだといえよう。ここに放り込もうとする度ごとに、ことごとく逃げ出してくれる。
 私の鑑定眼も鈍ってしまったのか…世に執着のない無垢な魂を選んだつもりだったのだがな」

 何が愉快なのだろうか、言峰は薄らとした笑みをに向ける。それは常と殆どかわらぬもので、その表情の裏の真意を性格に把握できそうにもないものだ。
 少女は、得体の知れない微笑を湛えている言峰にノロノロと視線を動かす。未だに頭蓋の中をぐちゃぐちゃにかきまわっている言葉達に負けぬよう、掻き毟るようにシャツの胸元を強く握り締めた。

「あの中にいた頃は…何も知らなかったよ。
 でも、キレイがここへつれてきてくれて――たくさんいろんな事を知った」

 蒼い空、白い雲、気持ちの良い風、暖かな空気。
 優しい人、面白い人、得体の知れない人、怖い人。
 嬉しい事、腹立たしい事、哀しい事、楽しい事。

 世界は様々なモノがあると知ってしまった。何もなかった頃には存在しなかった気持ちが、今はもうしっかりとの中で根付いている。この世に執着は無論ある。

 もっと知りたい。いろんなことを、もっともっと。貪欲なまでのこの想いが少女の執着だ。

 この真実も己が望んで得たもの。真っ向から受け入れたい。だから――

「――今はもう少しだけ… ここで、一人にさせて」

 涙を流すのを止め、小さく、だがはっきりとは呟いた。

 聖杯戦争を知りたいと願った。
 命を賭けてそれに関わるのだと覚悟した。
 訊ねた事に後悔はない。決意は揺らがない。
 ――貫いてみせる。この言葉は表に出さず、ただ己の内にそう発した。

「そうか。ならば気が済むまでここにいるがいい」

 ごくごくあっさりと、言峰はそう快諾する。まるでそう答えるのが判っていたかのように、タイムラグなしの回答だった。
 そのまま特に何も言う事無く、神父は靴音を立てながら出口へと進む。それをは背中で聴いていた。足音は三つ。そのうちの一つが、途中で止まって再び近付いてくる。
 音は彼女の真後ろに立つと、少し諮詢するかのように間を開け――ぽん、と軽く少女の背を叩いて気配を消した。

 …ランサー、かな。

 無言のそれに、なんとなくそう思う。しかし振り返って確認する事はしなかった。それよりも、今の彼女にはするべきことがあるからだ。
 はようやっと薄闇に慣れた目で《棺》を一つずつ確認して回る。
 男か女かも判らぬほど顔が崩れた者。肉が腐り、骨が露出している者。溶けるように身体の一部が欠損している者。
 そこに横たわっていた誰も彼もが五体満足な者などおらず、それでいて未だ命を僅かな細い糸で繋ぎとめられていた。口もなくなり、咽喉もなくなり、僅かな音しか漏れ出さなくなったそれらで僅かに微かに呼吸をしている。

 少女がこの世に生まれ出でたのが十年前。
 彼らがこの場所に収容されたのも十年前。
 少女は今の生を楽しんでいる。言峰に連れられ、冬木の街に、そしてこの教会へ来た時から彼女の世界は色付いた。
 それと同じ場所で、こうやって虐げられているものがいるということなど知る由もなかった。

 知らないという事はこんなにも恐ろしい事なのかと、は改めてゾッとした。
 この場にうずまくドロドロとしたモノは怨念ではない。ただの純粋な感情だ。十年という月日、彼らはただ自分達が何故このようなところにいるのか、何故生を謳歌できないのかと疑問の声を上げ続けていたのだろう。
 既に怖くはない。恐れもない。ただ、酷く哀しかった。
 声もなく、次々と露が両の眼から再び零れ落ちる。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 この場所に残る事は出来ない。知ってしまった以上、何もしない事は出来ない。
 そっと、眠る者の手を取った。酷く乾燥していて、骨がはっきりと浮き出ている。その表面を、優しく握った。少しでもいい、自分の熱が残りますようにと祈りを込めながら。

 ありがとう。ありがとう。

 夢を見せてくれてありがとう。教えてくれてありがとう。
 ぽたり、と雫が乾涸びた肌に落ちる。それは砂漠に降る雨のようにあっという間に吸収され、染みさえも残らなかった。
 取った時と同じく、優しくその手を《棺》に戻す。その者の胸の上へ祈りの形に組ませ、は己の頬を強く袖で拭った。

 この目にこの光景を焼き付けよう。魂に刻みつけよう。
 彼らの姿を忘れない。彼らの言葉を忘れない。彼らの願いを忘れない。

 立ち上がる。土をぐっと踏みしめて前に進む。
 大きな足取りで出口まで歩くと、クルリと彼女は振り返った。累々と並ぶ《棺》へぺこりと大きく頭を下げた。
 そしてそのまま駆け出す。薄らとした明かりが外の世界では広がっているようで、どうやらいつのまにやら夜は過ぎ去ってしまったらしい。柔らかなその光に、少しだけ目を細める。

 ――一つ、願いがまた増えた。

 それを確認するように大きく深呼吸をした。すぅっと気道を通って肺へと微かな朝の気配が入り込んでくる。
 繰り返すこと幾度か――それは酷く気持ちがよかった。

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