Seventh Heaven

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2/5: Icarus -2-

「――そうだ」

 ふと、何かに気付いたかのようにランサーは声を上げた。片手で耳に着けていたピアスを器用に取り外すと、無造作にそれをへ向けて放り投げた。キラリ、と朝日に反射する銀色のそれを、少女は慌てて己が手の内に納める。

「コイツを嬢ちゃんに預けとく」
「これは…?」

 まじまじと、は渡されたピアスを眺めた。そっと指の腹で触ってみると、つるりとした感触がある。何かの鉱物を加工したもののようだが、材質までは判らない。
 槍兵はもう一方の、自分がつけているものの方を指差しながら、

「ルーン石で出来ているから魔力の通りはいいはずだ。そいつに前に貰った水晶のように自分の魔力を貯めとけ。
 ……聖杯戦争に関わるからには、いつだって命が狙われていると思え。そいつは、嬢ちゃんの命綱だ」

 オレもいつだって手を貸せるわけじゃないからな、と僅かばかり悔しさに似たものを言葉に滲ませる。
 彼の台詞に少女も真剣な表情で頷く。託されたそれを無くさぬようポケットの奥にしまいこんだ。その反応に満足したのか、ランサーは言葉を続ける。

「単純な魔力解放ならそんなコツもいらない。一つ、ルーン魔術を教えよう。
 ルーンならば魔力を込めて文字を書くだけで効力が発せられる。規模は魔力量に比例するがな」
「へえー。ランサーも魔術師なの?」
「一応、な。魔術よりは槍持って前線にいる方が性に合ってるから、メインで使っているわけじゃないが…一通りの事は出来るぜ」

 言うと男はの腕を取り、僅かばかり持ち上げた。軽く握られている拳をちょんちょんと突付き、開くようにと促す。少女はその要請に従い、おずおずと己の掌を開いた。

「人に教えるのは得意じゃない。一度で覚えてくれよ」

 つう、と開放された掌の上を舞台にランサーの指が踊る。くすぐったさで思わず手を反射的に引き戻そうとしたが、何とか堪えた。軌跡を描く指は何かしらかの図形のようなものを模っているようだった。
 数秒もせず接触は終わり、男の指と腕は離れてゆく。僅かに残った温もりと感触を思い返すように、は自分の掌を見つめた。

「これはどういう意味なの?」
「――アンサス。火のルーンだ」
「へえ… 不思議な形ね」

 なぞるように教えられたそれをそっと掌に描く。しかし、何事も起きない。
 むう、と首をかしげていると、ランサーがくつくつと横で笑っているのが判った。

「上手く発動させるには、小源を意識して指先からそれを塗りつけるように描くのがコツかね。
 ま、ちょっと見てな」

 言うが早いか、ランサーは人差し指をぴっと一本立てる。気のせいか、その先が僅かばかり発光しているかのようにも見えた。アクアブルーの光は、尾を引くように空中に軌跡を描く。
 先程の図形が描かれた、と思った瞬間―― 何もなかったはずのその場所から、メラリと炎が上がる。火の玉は一際紅く輝き、瞬きをした僅かな間に何事もなかったかのように姿を消した。
 瞬く間に繰り広げられた出来事に、パチパチと大きな目をはしばたかせる。フ、とルーンを描いた指に軽く息を吹きかける動作をしつつ、槍兵は少しだけ得意げに言った。

「――ま、デモンストレーションとしちゃこんなモンだろ」
「スゴイ… ホント、ランサーってばスゴイ!!」
「ハハハッ、嬢ちゃんに褒めてもらえるのは嬉しいぜ。」

 ぐしぐしとランサーは少女の頭をかき回すように撫でる。

「嬢ちゃん、もう前みたいな魔力を込めたものはないのか? いっぺん発動できるかどうか実験しておいた方がイイと思うんだが」
「あ、うん…一応ある。ちょっとまってて!」

 乱された頭髪を手グシで直しながら、少女は一瞬考え――そして元気よく駆け出した。どうやら魔力を込めた物品に心当たりがあるらしい。
 ややもせず、少しばかり息を乱しながらは戻ってくる。

「――おまたせ!」

 その手には小さな金属缶が握られていた。少女はその中からあるものを取り出す。
 からん、と乾いた音を立てて手の中に零れ落ちたもの――ドロップにランサーは思わず叫んだ。

「――こんなモンに入れたのかよ!」
「え、だ、だめ? 透明だから、おねえちゃんがくれた水晶と一緒だと思うんだけど…」
「いやダメじゃねェけどよ… つうか、普通考えられないだけだ。食い物に魔力通すなんてな」
「でも、水晶以外で色々試したうちでは一番うまくいったよ?」

 同じ透明な物だったからかな? と首を捻る。
 少女の知るところでは無いが、普通の食品というものは魔力を通すようには出来ていない。一部のもの――マンドラゴラや月草などに代表される元から魔力の篭ったもの、アムリタや施餓鬼米などのように素材を厳選し、様々な儀式や工程を経て魔力を宿すものと違い、一般市販品には物質が持つそもそもの小源のほかに更に外部から魔力を追加するなどという事は極めて困難だ。何故ならそもそものキャパシティ――魔力容量が低い。
 よってそんなものに魔力を転移させることなど愚の骨頂でしかないのだが……どういうわけかきちんとドロップには魔力が宿っていた。この出来ならば、魔術品を扱う店でも初等魔術アイテムとして立派に店頭に並べられるだろう。

「……あー、まあいい。細かいこと考えないようにする。性に合わねえ!」

 ランサーは思考することを諦めたらしい。があー! と吼えるように声を上げた。ビシッと少女の持つドロップを指差す。

「今はルーンが使えるかどうかっての方が先だ。
 、こいつの上にさっき教えた文字を書いてみろ」
「う、うん」

 こくん、と一つ頷くと、言われるがままには小さなドロップに己の指を置いた。ドロップは小さい。キャンバスの狭さに不安が広がるが、四の五の言っている場合ではない。
 サーヴァントの理を超えて助力しよう、と言ってくれたランサーの気持ちに報いたかった。だからせめて、足手まといになる確立を少しでも減らすため、何が何でもこのルーン魔術とやらを使えるようになりたい。
 そんな願いをこめ、はおずおずと指を動かす。
 伝えられた図形は一度で頭に叩き込んだ。先程ランサーがやっていたように小源を指先に集中させるイメージを作る。
 このドロップに自身の魔力を移行させる時と同じように――いや、違う。曇ったガラスに文字を描くように――

 ぱぎん、と何かが爆ぜる音がした。それと同時に手の中に一瞬の内に熱が迸る。

「――きゃっ!」

 小さく悲鳴を上げ、思わず手を空中に躍らせた。当然、手の中にあったはずのドロップもその身を宙へと投げ出される。それは僅かな炎を纏い、まるで火の粉が舞うようでもあった。
 数秒後、ドロップが燃え尽きるのとタイミングを同じくして魔力の残滓も消える。それを最後まで見届けた後、ヒュウとランサーは笛を鳴らした。

「筋がイイじゃねえか。案外、魔術師に向いてるかもしれねぇな」
「うまく、いった…?」
「上出来も上出来だ。これで安心してオレのピアスを託せる。だが――」

 喜びの中、はしゃいだ声を上げそうになったが、続いたランサーの静かな声音にその言葉を飲み込む。
 そっと男を窺い見れば、酷く険しい顔をしていた。槍兵は真っ直ぐにを見据え、言葉を続ける。

「これで嬢ちゃん本人がギルガメッシュをどうこうできるってワケじゃない。勿論、他のサーヴァントやマスター相手だってそうだ。
 あくまで気休め――生き残るための一つの手段だ。聖杯戦争に絡んでくる連中はまず嬢ちゃんを一般人だと思うだろう。そこに漬け込むんだ。生きてりゃ後でなんとでもなる。
 聖杯を手に入れた後、オレの分の願いは嬢ちゃんにくれてやる。だから……それまで何が何でも生き残れ」
「――えっ?! い、いいの?」
「ああ、かまわねェよ」

 手を腰に当てたまま、半眼でそういうランサーの口調は、ごくごくあっさりとしたものだった。さしものもこれには大いに戸惑う。
 聖杯は誰もが望むものではなかったのか。しかし彼のその言葉には執着を感じない。

「――すごくありがたいけど… でもランサー、あなたのお願いはないの?」
「そりゃ勿論あるさ。オレは心行くまで戦いたい。元々、それと引き換えに召喚に応じたんだ。
 今はそれが叶えられちゃいないが…嬢ちゃんの味方でいる限り、事欠かなそうだしな」
「それは…わたしの願いが無茶だから?」
「ああ。の願いは要するにギルガメッシュに喧嘩を売るって事だからな。
 傲岸不遜な上、油断しまくりで横暴な我様だが…アイツは世界最初の英雄、全ての英雄の原本と謳われている存在だ。存在自体が反則技みたいなもんでもある」

 語る槍兵は、言葉とは裏腹に酷く楽しげであった。台詞にこそ起こしていないが、内心は彼と戦いたくてうずうずしているのだろう。
 要するに――ランサーは心の底から『戦士』なのだ。常に己の力を存分に振るえる場所を求めている。
 だがそんな矜持は少女には完全に理解できず、彼女の目にはランサーはまるで遠足前の子供のようだと感じられていた。
 そんな少年じみた青年に思わず小さな苦笑いを浮かべつつ、は問い掛ける。

「…金ぴかさんがいつも偉そうなのもそれが理由?」
「さて、その辺りはどうかね。本人の趣味かも知れんしな。
 この教会にはその辺りの文献もあったはずだ。興味があるなら調べてみればいい」

 ポンポンと、優しく少女の頭を叩く。そうだね、と頷くに念を押すように語りかけた。

「――今の嬢ちゃんの役目は生き残ること、そして知ることだ。頑張れよ」

 言って男は少女に背を向ける。石畳に音を響かせ、ランサーは場から姿を消そうとしていた。
 槍兵の背中をまじまじと見る。何処へ行くの? とは問わない。彼は聖杯戦争という舞台の役者が一人――己が役割を務めるべく、また何処かへと出向くのだろう。

「――ランサー!」

 それでも、は声を上げる。視界に入る広い背中を見ていると、無性に何事かを告げなくてはいけないような気がした。
 彼女の背のある場所に、ぽっと熱が残っている。そうだ、この礼をまだ伝えてはいなかった。

「…あのね、地下で背中押してくれて……ありがとう。嬉しかったよ!」

 遠ざかりつつある背中に叫ぶように声をぶつける。
 槍兵は片腕だけを掲げ、ヒラヒラとそれに応えるように振っていた。
 朝の白い空気にランサーはその姿を溶け込ませる。場に残るのはと小鳥の僅かな鳴き声、そして抜けるような蒼穹だけだった。

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