夕食時の商店街は大変な活気に満ちていた。店々から上がる声、交わされる会話、あちこちから漂う良い香り。単一の音に訳し難い穏やかな喧騒が、柔らかな冬の日差しとともにその場を暖かく包み込んでいる。
そんな人々でごった返す賑やかな通りの中、人々の視線が揃うようにある一点に流れていく。
中心点にいる青年はそれに慣れているのか、はたまた当然の事だと思っているのか、素知らぬ顔で悠然と歩み続ける。その背中を、少しだけ距離を置いて少女が追いかけていた。
そういえば、彼とこうして街中に出向くことなど今までになかったように思う。改めて前方にいるギルガメッシュと周囲の反応を窺った。
輝かんばかりの金糸の髪、絶妙のバランスで整っている秀麗な顔だち、立ち振る舞いは常に堂々としていて洗練されたものだ。絶対的な自信と誇りを纏うその様はまさに王者の風格で、それに感嘆の溜息をつかんばかりに人々が憧憬の眼差しを惜しみなく彼へ贈っている。
――一言で言ってしまえば、要するに彼は目立っていた。それもとんでもなく、である。
ふと、ギルガメッシュの足がある店の前で止まった。どうやら目的の場所に着いたらしい。甘い香りにつつまれている店先には『江戸前屋』と書かれた看板が鎮座していた。
ガラス張りのカウンターからは、大きな鉄板とそこで焼かれている様々な食品が見て取れた。タイ焼き・タコ焼き・回転焼きといった定番おやつ達が店員の見事な手さばきによって次々と焼き上げられていく。
は自分の感覚内に生まれた違和感に、う、と息を呑んだ。力一杯庶民派な店先と王様オーラバリバリのギルガメッシュとが同一の視界に納まっているのが――そのくせ何となく似合う気がするのが――不思議でならなかった。
「店主、いつものを二つ」
「あらっ、久々だねえ。はいよ、ちょっと待ってな」
妙齢の恰幅のいい女性店員とのなんだかツーカーな感じのやり取りにますます戸惑う。むしろ常連なのだろうか。自分の知らぬ一面を見せるギルガメッシュに、は呆けたように口を半開きにさせていた。
ちょいちょいと回転焼きを――いつものとはこれの事らしい――転がす店主が、その視線をギルガメッシュのやや後方に向ける。バチン、とと視線が合った。
「…ところで、隣のおチビちゃんはどーしたんだい?」
「こ、こんにちは。えっと、その…」
「――少々事情があってな。預かっている」
どう答えたものかとが視線を彷徨わせていると、思いもかけないところから助け舟が出された。驚きに目を僅かに丸めながら、傍らの男を見上げる。ギルガメッシュは少女の視線に気付いていないのか、別段表情を変えるわけでもなく店主の手元――回転焼きを品定めするように見ていた。
「そーか、いい兄ちゃんだねえ」
「…う、うん」
少し前であれば元気よく肯定の返答をしたのであろうが、今のには曖昧に頷くしか出来なかった。
それは常の少女を知らぬ店員にとっては少々引っ込み思案な子なのだろう、と受け取られたらしい。彼女は安心させるようにニッコリと暖かな笑みを浮かべて、ひょいと焼きあがったばかりの回転焼きを手に取ると、手際よく小さな紙袋に入れ始める。
「可愛いおチビちゃんには餡子多目のやつをサービスしようかね。
ああ、代はいいよ。オバちゃんからのお近づきの印って事で」
「え、でも…」
「貰っておけ、貢物だそうだからな。我はこれを貰おう」
「おやおや、相変わらず目ざといねえ」
くすくすと可笑しそうに声を漏らす店主に、ギルガメッシュがフンと小さく鼻を鳴らす。の知っている彼ならば『何だその不遜な態度は!』とでも言って怒り出しそうなものであるが、何の気無しに受け流すとは予想外だった。
ギルガメッシュは一つ分の代金とともに、別々に個装された回転焼き二つを受け取る。うち一方を、無言での手の中へと落とした。薄い紙袋の中から、確かな暖かさが冷えた少女の指先に伝わってくる。
渡されはしたものの、一体これをどうしたものかとは視線をオロオロと彷徨わせていた。おまけに『我の施しが食えんのか』とばかりの無言の強制力が上から降ってくる。
鼻腔を擽る甘い香りと、手の中で存在を主張する重みと温もり。そして注がれる赤い視線には白旗をあげ、おずおずと袋の中から焼きたての回転焼きを取り出した。
アツアツのそれに火傷をしないよう、ふうふうと息を吹きかけて冷ましながら回転焼きを齧る。中には言葉通りにギッシリと黒の粒餡が入っていた。程よい甘さに加減されており、暖かさも相まってジワリと心地良さが口内に染み広がる。
「…おいしい」
「うむ。腕は落ちておらんようだな」
「ははっ、ありがとよ」
回転焼きを食みながらちらと隣の様子を窺えば、男もまた少女と同じように丸い菓子へと齧りついていた。幾度か咀嚼され、咽喉が僅かに動くのが見える。それは、と何ら変わらぬ動作だ。
もぐもぐと無言で食べ続ける。糖分は頭の回転を良くすると言われているが、の思考も胃の落ち着きとともにゆっくりと動き出していた。
人間であるも、長時間食品を摂取せねば先刻のように体から悲鳴があがる。円滑に生きるためにはそれは当然の機能だ。
それはきっとサーヴァントと呼ばれる彼とて同じなのだろう。補給無しでは磨耗し、枯渇するのみである。先だって告げられた通り、ただ単に飢えを癒すモノが少女とは違うだけだ。
だからこそずっと腹を空かせたままでいろ、という事は到底言えない。それは要するに『死ね』と言っている様なものだ。はギルガメッシュに死んで欲しくなどない。
回転焼きを一つ完食するにはそう時間はかからなかったが、そんな結論に少女は辿り着いた。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「はい、お粗末様。これからも贔屓にしておくれよ」
「――行くぞ」
言ってギルガメッシュは、さっさと歩き出してしまう。もぺこりと一つ店主に一礼をして、その後を小走りに追いかけた。彼らの背中に投げかけられるように『仲良くやりなよー』という朗らかな声が聴こえてくる。
店主にしてみればお決まりの、何気ない一言だったかもしれない。だが、今のにはそれは少々荷が勝ちすぎている様な気がした。
ギルガメッシュと仲良くしたい。それは少女の正直な気持ちの一つである。
だが――だからと言ってあの《棺》を見過ごせるわけでもなかった。生きるため――というのは重々判るが、それでもあの場所や方法は間違えていると思う。
きゅう、と胸の奥が痛む。先行するギルガメッシュの姿が酷く遠く思えた。ぐっと、両の手を握り締める。少しだけ立ち止まった。距離はどんどんと離れていく。
すうっと大きく息を吸うと、は全力で駆け出した。幸いにしてギルガメッシュが歩いた後は自然と人が脇によるために道が出来ている。その直線を、小さな手足を懸命に動かして距離を詰めた。
どん、と殆ど体当たりするくらいの勢いで男の背後から抱きつく。ギルガメッシュは不意に訪れた衝撃に、僅かに身体と瞳を揺らめかせ、自身の腰にしがみつく少女を見下ろした。
は顔を地面に向けたままであるので、視線が絡み合う事はない。それでも自身に彼の意識が向けられている事は判っていた。
少しだけ、手足が震えている。これから紡ぐ言葉だけはそうならないように、と咽喉にしっかりと力を込めた。
「…あのね」
「――なんだ」
「お名前、ちゃんと覚えたよ。でも――」
ぎゅ、と今度は抱きつく腕が震えぬよう強く意識を向ける。酷く渇きを訴える唇を一回だけ湿らせて、意を決して顔を上げた。
途端、ガッチリと視線が交差する。何の感情も宿っていないギルガメッシュの赤い瞳が心に痛い。それでも、これだけは伝えなければと用意していた台詞を恐る恐る紡いだ。
「――これからも、前みたいに呼んでも…イイ?」
思えば彼について知っている事などほんの一部にしか過ぎなかった。『《英霊》ギルガメッシュ』についてなどその際たるもの。多少調べはしたものの、メソポタミアがどこにあるのかも判らないし、太古の昔がどれくらい昔かなんてこれまたサッパリだ。
が知っているのは――傲岸不遜で常に我が道を貫き、時々気紛れに自分で遊ぶ――少しばかり妙なところのある青年ギルガメッシュだ。
――彼らが《棺》と呼ぶモノは目を瞑れるようなものではない。だからと言ってそれを解放させるため、今自分に何が出来るか判らない。でも――この距離は淋しい。
二人の間に静寂が訪れ、周囲の喧騒のみが耳に響く。間とすれば十秒もなかったであろうそれは、にとって酷く長々と感じられた。ドクドクと脈打つ鼓動が熱い。
「――好きにするがいい」
ややあってふいっと視線を外しながら、ギルガメッシュはただそう一言呟くように答えた。ぐい、と密着しているの肩に手をおいて強引に距離を開ける。
少女に触れてきた彼の手は暖かかった。自分と同じ温もり――人間の体温だ。
「……うんっ! ありがとう、ギル様!」
それが何故かとても嬉しかった。思わず彼の手をぎゅっと握る。布越しではない、ダイレクトな触れ合いは先程よりも強くギルガメッシュの熱を感じる。
彼は少女の手を振り払うでもなく、そのままで再び歩み始める。少しだけ、歩調は緩やかになっていた。これならばも僅かにコンパスの幅を広げるだけで十分ついていくことが出来る。
隣り合うように手を繋いで商店街通りを歩く。双方言葉は交わしていないが、それでもには寂しさは感じなかった。
ギルガメッシュに手を引かれる中、の脳裏ではある考えが浮かんでいた。
魂や源感情がサーヴァントたる彼の糧になるというのならば、あれ以外の方法で摂取出来るようにはならないのだろうか。そうすれば《棺》は必要ない。
ただ――その方法がには全く判らないのが、単純かつ最大の問題点であった。望みといえばランサーと交わした《人》としての約束のみ。心強いものではあるが、彼に頼りきりになるのも申し訳ない気がした。
もっと他に自身が役立てることがないだろうか。聖杯戦争に関わり、生き残るだけでなく――もっと他の何か。全ての人が笑い合えるような何かが――
そう――例えばこのように手を繋いでいれば、自分の中にある魔力が彼に移るとか。
自分のあまりに楽天的で、他愛のない空想に思わずの口に微かな苦笑が浮かぶ。
本当にそうなればいいのに、と自身の奥底で願うように呟いた。
※ ※ ※
結局――二人が買い物や買い食いを終えて教会に帰ってきたのは、日も傾き影が長く伸び出した頃だった。
一緒に商店街を歩いてみて新たに判った事は、案外ギルガメッシュは周囲の人々から好意的に受け取られていたことである。八百屋のオバちゃんはリンゴをオマケしてくれるし、肉屋のおじちゃんはからかい混じりに声をかけてきた。そのどれもをいつもの事とばかりにさらりと流し、適当に品定めをして支払いをする。
ギルガメッシュが本当は何者かなど知る由もない人々からすれば、彼は少し間違えた日本語を使うちょっと変わった綺麗な外人さん――といったところなのだろう。
戦利品の詰まった少しだけ重い買い物袋を手にしつつ、観音開きの大きな扉を開いて礼拝堂へ足を踏み入れる。白壁は夕陽に照らされ朱の色に装いを替えていた。まるで世界丸ごとが黄昏に染め抜かれているような中、まるで黒点のように一人の男が佇んでいる。
教会の主たる言峰神父はまるで二人を待っていたかのようだった。扉の動く気配とともに、ゆっくりと足を彼らに向けて動かす。
「――珍しいな、揃いで外に出るとは」
「ただいま、キレイ」
「気紛れだ。気に留める程もあるまい」
互いに近付きあい、丁度礼拝堂の中央の部分で対峙する。黒衣を纏う神の僕の揶揄めいた言葉に、王は淡々と応えていた。
ギルガメッシュの傍らにあるは、己が前に立つ言峰に微かな違和感を覚える。首の後ろの産毛が何事かを察知し、僅かに逆立っていた。
「…ねえ、何か…あった? なんだか元気ないよ?」
常々そう表情を大きく動かすことのない神父ではあるが、それを差し引いたとしても彼の意気はやや沈みがちのようには感じた。
また何か――高確立で聖杯戦争からみなのだろうが――あったのだろうか。そんな予感めいたモノを抱きながら尋ねてくる少女に、言峰はふっと一つ息を吐くようにして告げた。
「――ランサーの令呪が昨夜消えた」
「…ほう」
ギルガメッシュが僅かに声を上げる。その音の中には、興味にも似たものが僅かに含まれていた。
言峰の言葉にの身体が強張る。短い台詞ではあったが、それが何故か少女の髄を震わせていた。
は視線だけで神父に先刻の発言の意味を求める。じっと、僅かに震えている眼差しを受けてか、その意に答えるように言葉を続けた。
「《契約破り》か敗れたか… 詳しい原因は判らん。
どちらにせよ、奴はもうこの場には帰ってこない。…そういうことだ」
彼の発する音は実に静かであった。それは酷く空気に染み渡り、溶けるようにして消えていく。
場に耳が痛むほどの静寂が落ちた。
「…………う、そ」
擦れた声に続くように、どさりと少女が手にしていた袋が床に落ちる。その二つの音が静寂を破って鼓膜に響いた。
顔面蒼白となったの表情とは対照的な、真っ赤な色をしたリンゴが袋から飛び出し床を転がっていく。
コロコロと、まるで先の見えぬ坂を転り落ちる石のように――