Seventh Heaven

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2/7: Maze -4-

 その車体は長く、黒光りするボディはよく手入れのされているものだということが一目で判る。商店街のワンコインパーキングには凡そ相応しくないそれは、通りすがりの人々の羨望にも眼差しを受けてなお堂々とした佇まいだ。
 特徴的なエンブレムと国産ではないと主張するそのボリューム――アインツベルン家所有のメルセデス・ベンツェを前にして、イリヤは軽い口調で言う。

「さ、乗って」
「…もしかして、イリヤが運転するの?」
「そーよ」

 何を当然の事を、と言外に含ませて少女は答えた。イリヤは同年、ないしはそれよりも多少上くらいだと思っていたのだが、車を運転できるような年齢なのだろうかと一瞬不安になる。歳を聞くべきかどうか迷っているうちに、はいつの間にか助手席に乗らされていた。
 あれ? と疑問に首を捻るを尻目に、イリヤはさっと運転席に乗り込む。チラリと横目で観察していると彼女はきちんとシートベルトをし、座席を調節してレバーやペダルの確認を慣れた手付きでしていた。流れるようなその動作に迷いは一欠片も見られない。
 キーが回るとエンジンが獰猛な唸り声を高らかに上げた。イリヤは巧みなハンドルさばきで狭い駐車場を危なげなく脱出する。
 交通規則を遵守しつつ、優雅とすらいえる運転技術を惜しみなく披露しつつ、少女は隣席のへと問い掛けた。

「――で、ギルガメッシュのマスターは教会にいるのね」
「うん。わたしの…おうち」
「という事は、一緒に住んでいるわけ?」
「そうだよ。わたしと、キレイとギル様と……ランサーとの四人で」

 最後の一人の名を呟くの表情は重い。
 イリヤはあくまで視線は前方に向けたまま、小さく口の中で言葉を紡いだ。

「…そう。キレイ、ね」

 吐息のような声に、は僅かに首を傾げる。
 車は冬木市を東西に二分する冬木大橋にかかっていた。海浜公園を眼下に置きながら、順調に教会への道のりは続いていく。
 新都の中心部にある中央公園を通り過ぎ、人々が行き交う駅前を経由して、外人墓地を横手に見ながらするすると苦もなく坂道を登っていく。
 車で教会へと行くのは二度目だった。不思議な懐かしさがの胸に込み上げる。無色の世界から有色の世界へと、鮮やかな変化を遂げたあの日をは大切な思い出として捉えていた。
 二度目の車窓の景色は、あの時と比べると僅かにくすんでいる様な気がする。一度目はまだ見ぬ景色への期待と希望が詰まっていたが、今回は言葉では語り尽くせぬ先々への不安が少女の内に確かに渦巻いているからであろう。
 景色とエンジン音だけが場を支配して暫し。ようやくイリヤが再び唇をゆっくりと開いた。

「…ギルガメッシュのマスターになるには、何はともあれ令呪が必要。そして令呪の移譲はマスター同士でなければ出来ない。
 ――ただ、霊的・魔術的に高度な技術を持つ者であれば、マスターとしての素質のないものにもその権限を譲渡することが出来るといわれているわ」
「…うん、イリヤがさっき教えてくれたことの一つだね」
「へえ、ちゃんと覚えてたんだ。エライじゃない。
 ――ただし、移譲にはもう一つ条件があるの。それはマスター本人の同意が絶対に必要であり、かつサーヴァントの了承も得ること。さらにそうして移行した令呪は、通常の令呪よりも拘束力は弱い。力の強いサーヴァントであれば尚更よ。
 それを満たさなかった場合、令呪を一つ使って無理矢理従わせることになるから、リスクはかなり高いものになるの」

 ふぅ、と溜息をついてイリヤはに目線を向けた。ぐい、とアクセルを踏んで、回転数の落ちていたエンジンに火を入れる。

「教会の管理者、言峰綺礼は…幸か不幸か、心霊治療のエキスパートでギルガメッシュの現マスター。さらにランサーの令呪を奪った実績まである」
「――えっ?」
「あら、知らなかったの?
 そもそも基本的に一人のマスターに一人のサーヴァントなのよ、このシステムは。よっぽどのイレギュラー……例えば、他人のサーヴァントを横取りするとかしない限りは、ね」
「で、でも! それじゃあ、前のランサーのマスターさんは?!」
「……さぁね。生きているかもしれないし、その逆も当然ありえるわ。何にせよ、聖杯戦争から脱落した元マスターの動向を調べるほど、アインツベルンも酔狂じゃないわ」
「…………」

 気がつけば坂を登りきり、教会の敷地へと辿り着いていた。雪はいつの間にやら鳴りを潜め、替わりとばかりに窓から差し込む太陽は、大分赤味を帯び始めている。不安定な天候と揺れる頼りない日差しが、まるで今の自身のように感じられた。
 徐行しながら車を門扉へと寄せるとサイドブレーキを引きアイドリング状態にし、冬の少女は大きく息を吐いた。

「――さて、ここで問題。現状とさっきの話を統合して、貴女が自分の望みの為にとりえるベストな行動は何?」

 問い掛けるイリヤの表情は酷く固かった。
 彼女の醸し出す雰囲気に飲まれたのか、もコクリと咽喉を鳴らして沈黙する。数瞬瞑目したのち、導かれた答えは――

「……マスターのいる、他のサーヴァントを……貸して、もらう?」
「半分は正解。奪えるほどの技量はないから、当然その方向しかないわよね」
「でも、半分って… それに一体誰のを――」
「決まってるじゃない。ギルガメッシュよ」

 さらり、とイリヤはそう告げる。彼女の言葉を完全に理解するまでに、は一瞬の時間を要した。
 ギルガメッシュのマスターになりたい。漠然とそうは思っていたが、それは叶わぬ事と思いかけていただけに、イリヤのその台詞が酷く以外に感じられた。

「…………ギル様?」
「そーよ。と、言うかその一択でしょうね。強ち貴女が願っていた事は、可能性的には正解だったりするわけ」
「で、でも… キレイが貸してくれるのかなぁ?」

 聖杯戦争に参加できるのは七組。これは既に確定されている。その内、が僅かでも面識を持っているのは四組。さらに交渉の余地がありそうなのは、複数のサーヴァントを所持していた言峰綺礼のみ。
 確かに冷静に考えてみれば、確かに現在のの状況においてサーヴァントの貸し出しを受け付けてくれそうな人物は言峰綺礼の一択である。
 衛宮士郎がセイバーのマスターであることをは知っているが、彼との係わり合いは正直薄い。魔力の転移方法を教えてくれた遠坂凛にいたっては、マスターではあろうという朧げな推測のみだ。
 不安要素を挙げるのであれば、言峰が複数を所持していたのは先日までであり、かつ両サーヴァントはイリーガルな手法で所持していたものであるということである。
 前回のサーヴァントを《棺》を使用してまで半ば無理矢理現界させ続け、今回のマスターからランサーを奪い取ってでも聖杯戦争へ介入しようとしていた男が、はたしてそう簡単に貸与を承諾するのか――といえば、否といわざるを得ない。

「…実際、そこが最大の問題でしょうけど。ま、当って砕けてみてもいいんじゃない?
 わたしのバーサーカーは、貸したところでまず間違いなく扱えないだろうし、貸す気もないし。
 それでも、少なくとも何もしないでいるよりは、数段マシな行動だと思うけど」

 イリヤのやけっぱちでは無いが少々無責任さが残る進言に、はむぅ、と眉間に深く皺を刻んだ。

 ――キレイはサーヴァントを貸してくれるだろうか。
 そして、万一彼の了承を得たとしても、ギルガメッシュに話を訊いてもらえるのだろうか。

 不安はある。むしろ、それしかない。
 それでも、には迷う事は許されない。望んで聖杯戦争に介入した時点で、その権利は放棄しているのだから――

「そう――だよね。悩んでばかりじゃ、何もはじまらない」

 言ってはそっと目蓋を閉じる。
 眼下に浮かび上がるのは凛とした態度の銀の騎士と、不遜なまでに堂々とした黄金の王の姿だ。
 彼らから与えられた言の葉を思い返し、そして己の内側に問い掛ける。

 ――己を貫く覚悟と勇気はあるか。

 その答えは、YESである。

 ゆっくりと、瞳を開く。思いの外心に波紋はない。凪いだ水面のように穏やかだ。
 まだまだやれる事はあるのだ。例え可能性は低くとも、決してゼロではない。迷いは何も生み出しはしない。そう思い出した。
 は傍らのイリヤに視線を向けると、コクリと小さく頷いた。言葉にこそ出さなかったが、その意思は十分に伝わったらしく、対面の少女は満足げな頬笑みを浮かべた。

「――じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「…うんっ!」

 言って二人は、互いに車から降りる。降り注ぐ陽光はいまや完全に夕日と化し、冬木の街を赤く染め上げていた。無論それは、眼前にある教会とて例外ではない。白磁の壁は深紅へと変化し、長く伸びた陰はまるで二人を呑み込もうとしている様にも思える。
 それでもなお、は真っ直ぐに前を見て歩き出す。一歩一歩を確実に。
 馴染みのある観音開きの大きな扉をゆっくりと開くと、薄暗かった室内が一気に朱に染まった。その一番奥に、目的の人物は待ちかねていたかのように存在していた。

「――ただいま、キレイ」
「ああ。珍しい客人を連れてきたな」

 カツリ、と石畳に硬い音が響く。ゆっくりととイリヤは教会の奥へと歩んでいく。

「お初にお目にかかるわ、監督役。名乗りは必要かしら?」
「出来れば伺いたいものだな」
「…イリヤスフィール=フォン=アインツベルン。
 よろしければ、貴方の名前もお聞きしたいわ」
「言峰綺礼だ。よしなに。
 ――ところで、当教会へ何の用向きかね? アインツベルンともあろうものが、棄権や保護を申し出にくるとは思えないが」
「ええ、勿論よ。わたしはただの付き添い。本命はこっち」

 くすり、と淑女の微笑を浮かべ、優雅な一礼をしてイリヤは一歩後ろへと下がる。身一つ分、言峰の前に出る形になったは、真っ直ぐに視線を彼に合わせていた。

「…ほう。して私に何用だ、
「それは――」

 言峰との視線が絡み合う。彼の瞳に見つめられていると、自分の奥底――己でも知りえないような場所を覗き込まれている気分になってくる。
 しかし、それでも構わなかった。今のの中にある想いは唯一つなのだから。

「――ギルガメッシュのマスターになりたいの」

 全ては、再び皆で笑い合える日の為に。
 の願いは、ただそのゆるぎない一点のみ。

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