Seventh Heaven

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2/8: Nessun dorma! -1-

 目覚めた場所は、赤い光に支配されていた。危険色に満たされているはずなのに、それでもその中に安堵の気持ちを感じられるのは、それが夕陽によるものだったからなのだろう。
 何か大きな夢を見た気がする。そうぼんやりと思いながらは二度三度を瞬きを繰り返す。背伸びをしようとして、片方の手になにかしらしっかりと絡まっている事に気付いた。
 視線を移動させると、それは人の手のようだった。指と指とをしっかりと絡ませあい、手を繋いでいる。手の甲から二の腕、肩へとその起点を辿ると、その先には金の髪の青年が存在していた。黄昏色の陽に照らされた金糸は常よりもより濃い色合いに変化しており、黄金というよりもむしろ赤銅に近い。目深に降りた前髪の下、静かに結ばれた口元が見えた。

 何かの光景が目の裏に甦る。蒼い空と白い雲――草原を駆け抜ける風に輝く黄金。
 果たしてここは現実なのか。夢の続きとは懸け離れているくせに、酷く境界が曖昧だ。
 ――このまま、彼が動かなくなったら?
 不意に湧き上がった突拍子も無い疑問にの背が凍る。そんな事は無いのだと繋がる箇所を無意識に強く握り返し、僅かに震える唇では彼の真名を紡ぐ。

「――ギル、様?」

 音は室内にゆっくりと染み渡る。音も無く降り注ぐ太陽の光が響くだけの世界が酷く心細い。少女は縋るようにより強く彼の手を握り締める。
 が発した余韻が全て消え失せる頃、微かに繋がった手に振動が伝わる。はっと落ちた顔をあげれば、ギルガメッシュの両目蓋がゆっくりと開いているところだった。そしてそのまま暫し――若干瞳の焦点が合っていないギルガメッシュの視線と少女のそれとが交錯する。

「…おはよう、ギル様」

 何となく気恥ずかしくなり、はにかみながらそう告げた。その呼びかけに、男はパチパチと幾度か瞬きを繰り返し、そしてうむと大きく頷く。常より寝起き直後のテンションは低いが、今日はまた格別だった。
 それでも繋がった手からは、ギルガメッシュの熱が伝わってくる。自身よりも体温が低いのか、若干ひやりとした印象を与えるが、血の通わないものの冷気ではない。
 この暖かさがあれば安心が出来る。ここは夢ではない。現実であると。今現在、自分が存在しているのは確かに現し世なのである。その当たり前の事実が酷く嬉しい。

 彼の手と触れ合ったのは数日前にもあった。あの時も、彼が《英霊》と呼ばれる《人》であることを実感し、その温もりに不思議な安心感を持ったことを覚えている。
 たった数日前だというのに、何故か遠い過去の様な気がする。それほどまでに、自分が失ったものの大きさを改めて自覚する。そう思い出した時、まるで何かの天啓のようには悟った。

 ――思えば、自分は既に欲しいものを手に入れていたのだ。
 何も無かった空っぽの自分が、いつの間にか三つの大切な物を手に入れていた。ただそれが知らぬうちに失われることに怯え、いつしか自らの手で失ってしまった。
 だが今更それを悟ったところで、己の無知さによる損失を直ぐに取り戻せるわけではない。
 塞がっていないもう一つの手で、は自身の頬に触れる。この場所に落とされた目の冴えるような冷たさも忘れられない。己の愚かさ故に失ってしまったもう一つの暖かさを、忘却する事はありえない。

 間に合うのだろうか。
 そんな自問を投げかける。だがそれに対する明確な答えや確信を自身が持つべくもない。
 出来る事はただ一つ。己の望みの為、過去の過ちを償うため――今の時点で出来うる最大の事をやり続けるほかないのだ。今この手にあるささやかな温もりをこれ以上失わない為にも。かつてあったはずの暖かさを取り戻すためにも――
 過去へと時間を戻すことなど出来はしない。だからこそ今の自分に出来る事は、ただただ愚直なまでに突き進むことなのだ。迷いを飲み込み、前へ、前へ、前へ!

 そっと、は繋がれたままだった手を柔らかく振り解く。ギルガメッシュも徐々に意識が覚醒し始めたのであろう。紅玉の瞳に、見覚えのある鋭さが戻ってくる。

「えっとね…ギル様に、お願いがあるんだけど――」

 夕陽よりもなお鮮やかな男の目をまっすぐに見ながら、少女は横たえていた身体の半身を両手を使って動かした。鈍角から直角に上半身が起き上がるにつれ、重力に従うように身体に掛けられていたシーツが移動する。
 丁度ベッドに垂直に起き上がったところで、するりと肩から掛け布が落ち、二月の夕暮れの空気が少女を包んだ。ぶるり、と身震いをし、次の瞬間ようやくは自身の姿がどのようになっているかを自覚した。
 伸びた手足と身の丈に合わない装束。しかもあちらこちらが擦り切れ、嫌な色をした染みがそこかしこについている。お馴染みと言えばお馴染みの身体の異常成長だ。暫らく自身の身体の概観を眺め確認した後、急に気恥ずかしくなってきゃあ! と短く叫び、少女は再びシーツを自身の身体に巻きつけた。

「――ギル様ッ、ちょっとだけでイイからお部屋から出ていって!」
「む、何故だ」
「だ、だって…いろいろちゃんとお願いしたいけど、こんなボロボロの状態なのは…失礼かなって。
 だから着替えたいけど、見られるの……ヤダ」
「我は気にせんぞ。それに別に見られたところで減るものでも無し、ましてやそう大したものでもなかろう」

 はっ、と完全に馬鹿にするように短く息を出すギルガメッシュ。さしものもこの仕草と台詞にはカチンときたのか、手近にあった跳ね枕を引っ掴むと目一杯の力で彼に投げつけた。
 だがそこは始まりの英雄、余裕を持って眼前に迫る枕を掴む。少女らしい幼稚な抵抗に嗜虐性が擽られたのか、唇の端を上に向けていた彼の顔面に第二撃がすかさずすかーん! とクリーンヒットした。てんてんと室内をトラのぬいぐるみが転がっていく。どうも第一波を防ぎきったと確信し、警戒を怠っていたらしい。流石は油断王である。

「いーからっ! せめて目をつむるか後ろを向いてて!!」

 がぁーっ! と珍しく牙を向くの勢いに押されたか、はたまた気紛れか。多少の嘆息を混じらせながらも存外素直にギルガメッシュは少女に背を向ける。
 それを確認すると、少女はするりとベッドから抜け出して、クローゼットの前まで駆けた。扉を開けると、同じデザインをした衣装が数着ハンガーにかかっている。体が異常成長をした時用に、と言峰がに与えたものだった。
 まずは引き出しを開けてサイズの合った下着に着替える。続いてハンガーに手を伸ばして白いブラウスを取って袖を通し、青いスカートを素早く身につける。備え付けてある姿身でブラウスのリボンのバランスを確認して、よし、と小さく呟いた。
 もう一度、ベッド脇まで戻ると今度はベッドの中ではなく上に座り込む。スプリングの効いたベッドの上で正座をするのは少々具合が悪いが、ここは我慢する部分だ。
 がベッドに戻ったことを確認したのか、再びギルガメッシュが少女と向き合う。居住まいを正したに、胡乱げな眼差しを投げた。

「…それで、この我に何を願うというのだ」

 口ごもりながらも言いかけたの台詞を耳聡く聞きつけていたらしく、開口一番ギルガメッシュはそう問い掛ける。それにはコクリ、と咽喉を鳴らすと背筋をピンと伸ばし、握った拳を僅かに強く固めた。
 深呼吸をするように一拍の間を置くと、少女ははっきりと告げる。

「――わたしのサーヴァントになってください」

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