の言葉は酷く単刀直入だった。だがその分、迷いもなかった。
見据えられる相手こそが逆に鼻白むほどの視線を受け、ギルガメッシュは僅かに嘆息するような息を吐き出す。
「それは聖杯戦争に介入するためか」
「――うん」
頷きはゆっくりと返ってきた。ぎゅっと結ばれた拳がかすかに震えている。
「――《棺》の中で、貴様がいった言葉を覚えているか?」
「…わたしが?」
そうだ、と短くギルガメッシュは答える。その言葉に、は記憶を廻らせるがどうにも曖昧なものしか返ってくる事はなかった。
《棺》へとイリヤと共に降りたことまでは覚えている。問題はその後だ。口澱むイリヤに微笑んで、何かに祈りを捧げるように目を閉じた後――その後の記憶が酷く曖昧だった。
まるで深い霧がかかっているかのように全体像がぼやけている。あの時あの場所で、自分はいったいどうしたというのか――思い出そうにもきっかけすら判らない。
それでも唯一つだけ。確信を持っている事がある。あの場所の《家族》の命を奪ったのはまごう事無く自分自身であるということだけだ。どんな奇麗事を並べようと、結局自分は人を殺した。
わたしが殺した。
わたしが傷付けた。
《私》が――
何か他に方法はなかったのだろうか。そんなどうしようもないことを考えてしまう。過ぎたことを悔やんだところで、時間が巻き戻るわけではないことなぞ判り切っているというのにだ。
自問自答するそんな脳内に、ビリッと電流にも似た何かが流れた。それは一瞬の事で、次の瞬間には何事もなかったかのように静寂が舞い戻る。だが、その刹那の刺激だけで十分だった。波立った思考が平静を取り戻す。
「そうだ。覚えていないのであれば告げてやろう。
お前は『責任を取る。《食事》の心配はしなくてもいい』と言っていた」
沈黙を続けるの態度を否定と受け取ったのか、王はなおも言葉を続けた。
「受肉しているとはいえ、サーヴァントとしての本質は変わらん。
先の戦争から十年――英霊を聖杯に頼る事無く維持し続けるために作られたのが《棺》だ。それなき今、ただ存在するだけにしろこのまま外部からの魔力供給がなければ、単独行動のスキルを持つ我とてそのうち肉体を維持できなくなる。
この我を従えるなどという不遜な願いを抱くのであれば、当然この問題は避けては通れぬ。通常であれば聖杯が契約する主従の補佐を行うが、我は此度の聖杯の影響など受けることはないし、そもそもお前は魔術師ですらない。例え聖杯戦争に介入したところでそれは変わらん。
責任を取るとはすなわち、お前がここに来た本来の目的を果たすという事になるぞ」
「わたしがここに来た目的?」
「――お前は我の糧だ。我に捧げられ、搾取され、ただ使い捨てられる栄養源としてここにつれられてきた。それはとうに理解しているな」
「…うん。知ってる」
反芻をするようにそう答える。物足りなくなった魔力を補填するために自分がここに連れてこられた事はあの夜に既に告げられていた。ともすれば早々に《棺》に組み込まれていたであろうから、自分の運と《家族》からの警告には感謝するばかりである。
「サーヴァントのごはんは魔力や感情…魂、だったよね。
強い気持ちが力になるんだったら、痛いとか苦しいとかそういうものより、大好きっていう気持ちの方がおいしいんじゃないかなって思うんだけど…」
サーヴァントの活動エネルギーとは何か。それを知ったのも《棺》を前にしてだった。
魂という概念を幼い少女の身で完全に理解することなぞできることでは無いが、自分なりに解釈した考えを口にし、違うの? とは傍らの男に問い掛けた。
「……好みによる、としかいえんな」
「ギル様は、痛いとか苦しい気持ちの方が好きなの?」
「――単純にあの形態が最も効率よく搾取出来たからに過ぎん」
「じゃあ、わたしがいっぱいたくさんギル様の事大好きだって思えば少しはごはんになれるよね?
動けなくなるのは困るから《棺》にはいる事は出来ないけど…わたし一人分じゃ足りないかもしれないけど、がんばるから!」
突拍子もないといえば突拍子もない、いやむしろ単純すぎるその言葉に、ギルガメッシュはあからさまに眉をひそめた。
自身の閃いたアイディアがよいものだと思っているのだろう。キラキラとした瞳では彼を見上げている。
「何故動けなくなるのが困るというのだ。あのシステムは永く魂を得るには最適なのだぞ」
「だって、ギル様一人じゃランサーに会ったら……今のままだとケンカしちゃうよね?」
「……」
「わたしは二人にケンカして欲しくないし、ランサーともう一度お話したいの」
「――ランサーを取り戻したいということが聖杯に望むことか?」
静かに、男は問い質す。やや半眼めいた視線は少女の意図を見定めようとしているのか、揺らめくこともなくただ凪いでいた。
一拍の間をおいて、の唇がゆっくりと開く。その中には、はっきりとした核心すら含まれていた。
「それは……聖杯にお願いするべきことじゃない様な気がする」
「では何故お前は戦争を…我を求めるというのだ、よ」
「…特にないかも」
「何だと?」
僅かばかりギルガメッシュの語尾が跳ねた。変化に気付かないのか、はなおも言葉を続ける。
「ギル様、わたしが普通にお願いしたからってそれを聞いてくれないでしょ」
「当然だ」
「じゃあ令呪があったら?」
「……」
令呪は絶対的な力をもっている。サーヴァントに奇跡の片棒を担がせることも可能であるし、はたまた自傷させることすら可能だ。そんな令呪を盾に命令をされれば、大抵のサーヴァントであれば命令を訊かざるを得ない。
ギルガメッシュが規格外のサーヴァントである事は確かだが、サーヴァントシステムに縛られている以上令呪の拘束力は存在する。抗うこととて決して不可能では無いが――補給のない現状ではそれこそ自殺行為だ。
「このままだったら、間違いなくわたしはまた関われなくなる。
あの夜、ランサーはまた来るって言っていた。わたしとの《誓約》を守るため――ギル様を殺す、ために。でもそれだけじゃないようにも思うの」
はそこまで深くは考えてはいないが、それでも令呪がサーヴァントにとって重要な物である事は理解している。だからこそ欲しているのだ。
「……確か、ギル様の魂は栄養になるってことも言っていたよね。《誓約》だけじゃなくって、多分何か別の目的でランサーは動いているんだと思う。
《誓約》を結ぶ時にランサーが言っていたけど、たくさん戦いたいから召喚に応じたんだって。ひょっとしたら…今のランサーはそれがあるからギル様とケンカしたがっているのかもって思う。
でもね、わたしは二人にはケンカして欲しくない。だって今のわたしの願いはただ――ランサーと、ううん、ギル様もキレイも。みんな一緒にこれからも暮らしていきたいってことだけなんだもの」
これまでに知りうることが出来た情報を整理しながら、思うが侭に少女は自身の想いを口にした。
結局のところ――自分の願いなど、そんなどうしようもないことなのだ。
は改めてしみじみとそう理解した。我ながら呆れ返るほどに欲している。それを口にした今、不思議と心はざわつくこともなく、酷くフラットなままだった。
紅く照らされた室内で、ただ二人の視線だけが絡まり合う。暫しの間、音が感じられないほどの静寂が場を支配し――先にその沈黙を破ったのは英雄王の嘆息だった。
「…本題に戻るぞ。、お前はこの我を従えたい。間違いないな?」
「うん」
「そのために聖杯を――令呪を欲している。令呪を手に入れるためであれば、動けなくなるような事以外であれば、この我に己自身を差し出すということか?」
「――そう、だね」
淡々と投げかけられる質問に、同じようには答えてゆく。肯定を繰り返し、僅かに面を伏しながら小さく呟いた。
「わたしは魔術師じゃないから…あげられるものは自分自身しかないもの」
何も持たない自分が歯痒い。何も知らない自分が悔しい。何も出来ない自分がもどかしい。
だがこの身一つあれば、ギルガメッシュの糧となる事が出来る。
自身の手の中にある交渉カードなど自分自身しかない。どんなに倍率が低い賭けであろうと、今のにはそれに全身全霊をつぎ込むことしか出来ないのだ。
だからこそ――気付かない。
己の欲に対してあまりにも愚鈍であるがために、のめりこめばたちまちに周囲が見えなくなってしまう。唯一つの想いだけに囚われてしまう。その事に自発的に気付けるほど、少女は年月を経た経験を持ちえていない。
「――」
己が名を呼びかけられると同時に、ゆっくりと世界が移動する。
否、移動したのは世界ではなく、少女の上半身だ。背にはシーツの感触がある。気が付けば両の手は彼のそれによって拘束をされていた。眼前には先程よりも格段に近付いた金色の青年がいる。
いつの間に倒れたのだろう、と少々不思議に想いながらも、少女は王の要請にいつものようにこたえる。
「なぁに、ギル様」
「お前は…例え令呪があったとて、この我がお前の願いを叶えぬとは思わんのか」
静かな声と冷たい指がの鼓膜と顎を撫でた。紅玉の瞳が爛々と輝き、少女を見下ろしている。
感触の心地良さに若干酔いつつも、彼から告げられる言葉の数々はそれとはまったく別の性質を帯びていた。
「お前の考えは酷く楽観的だ。更にいえば無謀でもあるし、乱暴極まりなく愚かにも程がある」
「…う」
「そもそもだ。我に願う事柄が気に食わん。我自身ではなく結局はランサーを救いたいがためではないか。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
己の無知さとエゴで我の《棺》を奪うべくランサーに助力を頼んだというのに、結局自力で《棺》を潰した挙句、今度はあの駄犬を救う為に我に助力を求めるのか?
ランサーが堕ちたのは油断からであるし、それに耐え切れぬ矮小な器であったからだ。その程度の男なぞ捨て置けばよかろう」
ゆっくりと、男の指が顎から上へと進む。整った造型をした指が頬へと流れ、耳を通過し、前髪をかき上げる。その間も赤い眼差しはしかと少女の瞳を見据えたまま動こうとしない。
まるで甘い睦言を囁くように王はに事実を突きつける。言っている事は紛れもなく正論だ。どれほどに今自分自身が無茶苦茶な事を言っているかも判る。
それでも――
「――絶対、ヤダ」
「…ほぅ?」
「ヤダったらヤダ! みんないなきゃ淋しいもん!
だって、みんな大好きなんだもん! いなくなるのはイヤなんだもん!
確かに最初にケンカさせちゃうような事をランサーにお願いしたのはわたしだけど、だからこそ間違っていたことをランサーに謝りたいんだもん!」
両手をふさがれ、覆い被さるようにギルガメッシュの身体が近くにある今、が自由に動かせるのは首から上くらいなものであった。いやいやと大きく左右に振り、自分の意思を示す。
一頻りそれを繰り返し、若干目が回り始めたところで抵抗を止めた。スピードをつけすぎたのか、視界が若干ふらついている。眦には水でもたまったのだろうか、なにやら熱いものが感じられた。
グッと、はギルガメッシュを睨みつける。頬を膨らし、唇を尖らせ、それはまるで癇癪を起こした子供そのものだったが、あろうことがその醜態を英雄王は止めることも無く暫らくの間見下ろしていた。
両者睨み合う事暫し。時間にしても1分もないだろうが、それでも随分と永いようにには感じられる。
思わず恥も外聞も無く、心の奥底に仕舞っていた願望を吐き出すように叫んでしまったことが恥ずかしい。今更ながらに羞恥心が強く沸きあがり、熱は目だけではなく耳にまで達している。これではとんだ道化だ。
するとどうした事か。ギルガメッシュの両目蓋がゆっくりと伏せられ――再度それが開かれると同時に彼の口元は歪んでいた。
「――成る程な。合点がいったぞ」
ニタリと笑むその表情には、はっきりとした悦の色が見て取れる。
漏れ出たその一言は、決して少女のみに対して向けられたものではないようだった。