という少女がいる。
身よりも無く、都合のいい贄として招かれたただの子供だ。
歳相応に無知であり、無謀であり、そして言い尽くせぬほどに愚かである。
何故こうもこの少女に心乱されるのか――
その答えは単純明快。彼女の願望、抱え持つ業があまりに醜悪だからだ。
人間誰しも欲をもつ。ベクトルは違えど、それは須らく誰もが持ちうるものだ。例えそんなものはないと嘯いたところで、ただそれは自身にとっての愉悦を識らぬだけであり、掘り起こすことを怠らなければ必ずそれは露呈される。
その様を見る事は、ギルガメッシュにとってこの上ない娯楽であった。千々に乱れ、一つとして重なる事のないその様は、一つ一つが財宝の如き存在を持つ。決して満たされる事のない自らの願いに翻弄され、苦悩する様を見る事は実に愉快である。それが矛盾に孕んだものであればなおの事だ。
無貌かつ夢幻の容を取るが故に、欲そのものを収集する事は出来ずとも、それを抱えたものを傍には置ける。手元で飼い時々乱すようにしてやれば、その都度楽しめる愉快な玩具だ。
少女に強く惹かれるのはその在り方と力故――魔力生物に限りなく近い現在の身体であれば豊富な魔力に心奪われるのは当然であるし、座に奉じられた時からギルガメッシュの嗜好も変化していないため人の業に惹き付けられるのも理解出来る。
「――良かろう。お前の願い、叶えてやらんでもない」
「ホントッ?!」
「ああ。愚民の願いをかなえるのも王たる者の務めだ」
喜色を満面に押し出す少女の眦に軽く唇を寄せる。僅かに滲んだ塩気で唇を潤し、耳元で低く囁けば擽ったそうには不自由な身体を捻った。
「お前の大地の気を吸い上げる体質はサーヴァントにとって都合がいい。
吸収の速度も急激ではない故に、半永久的に供給は一定基準を満たし続ける…いわばお前自身が《棺》と類似した機能をもっている。こうして触れ合うだけで魔力が我に流れてくるのが実感できる」
解るか? と、問い掛けてもは不思議そうな顔で首を横に振っている。
だが本人に自覚がなくとも、少女を拘束する両の掌からは体温とともに魔の気配が伝わっていた。涙を拭った唇には火照りが今もなお残っている。《共有》の魔術とは比べものにならず、それはまるで魔力回路へ直に浸るような感覚だ。
「よ、我と契りを結べ。その身を全て捧げよ。
……さすれば汝の矮小な願い、この我が叶えてくれよう」
言葉とともに何時ぞや奪われた少女の柔らかな頬にそっと口を寄せる。ひやりとした皮膚の感触が心地良い。ギルガメッシュの行為には一瞬大きく目を見開き、その奥を潤ませた。眉間に皺を寄せ、何かをいいたげに僅かに愛らしい唇をわななかせる。
そう、納得が出来ることなのだ。が《棺》に手をかけた理由も、何故こうも自分が他愛もないことで混乱をさせられていたということも。全ては説明がつく。ただ愚かしいまでの人間の業が故だ。
だからこそ、今こうして眼前の少女の表情が振り出す前の空のように雲っているのは、自身の願いが聞き届けられようとすることに対する喜びのためなのだろうと、ギルガメッシュは独り解釈した。
沈黙は秒に直して30秒ほど。真夜中の静寂に四肢が溶け合いそうな中、震える声では声を震わせながら恐る恐る問い掛ける。
「…ほんとう、に?」
「無論だ」
「また一緒に…四人で一緒にご飯食べれる?」
「ああ」
「みんなで笑える?」
「……ああ」
――唯一つ。未だに理解出来ない事柄があるとすれば。
少女が自分ただ一人を選択せず、貪欲に全てを求めようとするところだろうか。だがが背負った業でそうであるとすれば、それを求めもがく彼女の姿こそがギルガメッシュの求めるに値する醜悪さなのだ。
人は誰しも、理解不能なものに対して嫌悪感と一種の憧憬を抱くもの。この胸に僅かに残る、棘のようなしこりもその類だろう。今はまだ取るに足りない。意に添わぬものを躾ける事もまた楽しみの一つだ。
言葉にも表情にも出す事無くそう結論付けたギルガメッシュに、眼下の少女はなおも問い掛ける。
「それじゃあ…契りって、どうすれば結べるの」
「…そんな事も知らず、お前はその身を投げ出そうとするか」
「だ、だって…」
呆れを含んだギルガメッシュの言葉に、恥ずかしげには視線を逸らす。
――無理もあるまい。おおよそ神秘とは懸け離れた暮らしを今まで送ってきた立場だ。その手の知識がすっぽりとない状態であっても何ら不思議ではない。無知に酷似した無色さこそがの本質――接するものへ如何様に色を変える万華鏡なのだ。
「まあ最も面倒がないのは吸血か」
「…痛そうだね」
「当然だ。その苦痛と血に流れる小源をそのまま食む行為であるからな」
にや、と僅かに口の端を持ち上げ、少女の首筋に薄く舌を這わせる。
びくりと僅かに跳ねる身体は未知の感覚に慄いているのか、それとも咽喉元に牙を突き立てられる己を想像した恐れからか。視線をの顔面へと流せば、眉を寄せて彼女はギルガメッシュを見据えている。神妙な面持ちは嗜虐心を擽るが、それよりも先に純粋な笑いが込み上げてきた。
接触を増やし、深度を増すごとに魔力はギルガメッシュに注ぎ込まれる。乾いた砂に水が染み入るように、の内側を求め王の内部が惷動する。共有、あるいは簒奪をする以前の接触という前戯のみでこの様だ。本格的に搾取を行えば供給量はより増大するだろう。
「だがそれは我の趣味ではない。これでも食事には拘りがあるほうでな。彩りや楽しみがないとつまらん」
「えーっと…材料だけ出されるより、きれいに料理されたもののほうが好きってこと?」
「無論。手をかければそれだけ喰らう側とて楽しみも増える」
ひょい、と。ギルガメッシュは捕らえたままだった少女の腕をより頭上へと移動させる。手首を交差させ、その起点を左手でのみ拘束する。これで右手は自由になった。
英雄王はより一層笑みを深くし、低い声音で謳うように言の葉を紡ぐ。
「光栄に思え。この我自らが手を下してやろう」
「……わたしの気のせいじゃなければだけど。すごーくイヤな予感がする」
「気のせいだ。
よ、お前はこれからその身に余りある栄誉を受けるのだ。己が過ぎた幸運と歓喜に打ち震え、愉悦と快楽に存分に身を浸すがいい」
本能からか、の身体が呟きとともに後じさりを試みている。だがそんな少女の直感をギルガメッシュは一言の元に叩ききった。
続く王の言葉に少女は焦りが募ったのか、なおも移動を試みる。だが組み伏せられ、両手を拘束されている状態ではそれもままならない。僅かばかりその身は動いたが、それは彼を煽るものでしかなかった。
ギルガメッシュの指がの小さな顎を持ち上げる。掬うように持ち上げられ、下唇を男の親指がその形や柔らかさを確かめるように緩やかになぞった。強制的に視線を合わせ、少女を直接覗き込むめば、ガラス玉のようなの瞳に映るのは英雄王の紅玉と彼女の困惑である。
手始めに、とばかりに皮膜同士が近付く。僅かに震える少女の唇に、男のそれが重なり合う――
「――お楽しみ中のところ悪いけど、お邪魔するわよ」
――まさに直前。
夜帳の静寂を破ったのは、鈴のような少女の声。
不躾な闖入者に一瞥をくれてやろうとギルガメッシュが視線を動かしたその先には、仁王立ちのイリヤスフィールといつものように曖昧な笑みを浮かべた言峰綺礼の姿があった。