日付変わって――変貌した槍兵が撤退して暫しの後。礼拝堂には夜更けにもかかわらず煌々とした明かりが灯っていた。
石畳にブーツの音を響かせながら、教会の主が場に姿を現す。目蓋を伏せ腕を組み、苛立つ己が波を押さえつけるように待機していた男は、その音に反応するようにすっと顔を上げた。薄く目蓋だけを開き、腰かけていた長椅子から立ち上がる事も無く、ただ短く一言発する。
「――どうだ?」
修飾語どころか主語もない、ともすれば何を問い掛けているのかすらあやふやな言葉。しかし質問内容を心得ているとばかりに、言峰神父は常と変わらぬ表情のない笑みを湛えて答えた。
「命が失せるというほどでは無いが…酷く消耗はしていたな。蓄積されていた魔力がほぼゼロになっている」
「……そうか」
「その分、あれが手にしていたピアスに多量の魔力が確認出来た。恐らくは自身の限界を自覚せず、無意識の内に転換魔術を行っていたのだろう」
「――あの槍兵が魂喰いをしていたとは?」
ギルガメッシュの台詞に言峰の眉がピクリと上に跳ね上がった。問う言葉に冗談の気配は微塵もない。
くっと口の端を歪めると、神父は自身の説を口にした。
「興味深い意見だが、あれに限ってそれはあるまい。
例え主が変わろうと、早々英霊本体の質は変わらないのだからな」
「それが、変質していたとしたらどうだ?」
「……どういうことだ?」
確信めいた強い語調に、訝しげに言峰の眉が寄る。ふう、と溜息にも似た呼気を吐き出すと、ギルガメッシュは再び目を閉じる。
「真面目に相手をするのも面倒でな。即座にカタを付けようと螺旋剣を使ったが…それをあやつは受け止めた」
「…ほぅ。しかし、あれの《誓約》には確かもう一つ条件がなかったか?」
「ああ。だがこの身は全ての英雄の原典。すなわち全ての要素を持ちうるから発動は可能だったはずだ。しかし――」
止められた、と苦々しくギルガメッシュは吐き捨てる。
此度の槍の英霊ランサーの正体であるケルトの大英雄クー・フーリン――
彼は祖国を守るため、力を手に入れるため、次々と自身に対して誓いを立てた。拘束の数だけ彼は強くなったが、最後はそれを逆手に取られ、自身の魔槍にその身を貫かれて死んだ。
伝わる伝説に基づいて型作られるのだから、《英霊》となった今でもそれは変わらない。曰く自身の名のつく動物の肉を食べてはならぬ、曰く武器を貸す求めに応じねばならぬ、曰く目下の者からの食事の誘いは断ってはならぬ、曰く一日に一人の戦士としか戦ってはならぬ――等々。一見瑣末なことから、ともすれば命に直結することまで様々だ。
そして『コノート人の使う螺旋剣・カラドボルグに一度は敗れなくてはならない』という《誓約》――コノートとはランサーの祖国と敵対していた国だ――これもまたランサーが生前に交わした無茶な約束の一つである。
「単なる『契約破り』ではないということか…」
「ああ。対峙すればより強くそれを感じることが出来る。…あれは、我が知りうるものではない、別の存在だ」
「私は実際に見てはおらぬからな…断言できることでは無いが。確かに、気配はまるで別物だった。最初はランサーが来たとは思えぬほどにな」
ふむ、と襲撃当初を思い出しながら言峰は呟いた。この教会は霊地であり、拠点であり、《棺》の安置される場所である。故にそれなりの防御も敷いている。招かれざる侵入者があれば、主の元にそれを告げるように仕込んでいた。
今宵とて何者かが敵意をもって侵入してきた事は知っていたが、よもやそれがかつての配下であるとは思わなかっただけである。ギルガメッシュが場にいたこともあり、魔力ラインを通じて敵を察知し、そして場の始末を任せたが――直接出向かなかったことが今となっては悔やまれた。
「ランサーはの願いをかなえるためだのと言っておったが――一番の目的は現在のところ我のようだな。誰の命かは知らぬが」
「の願い、だと?」
「……《棺》の解放。そう言っていた」
「成る程。彼女らしいといえばそうなるな」
言峰の台詞に、英雄王はフンと鼻を鳴らした。実のところギルガメッシュにしてみれば、ランサーの襲撃や変貌よりも少女が苛立ちの要因と言ってよかった。
無論、本人にその自覚はない。何故自分の心がこうもささくれ立っているのか判らず、今もなお燻り続けている何某かを持て余している。
少女は――は、知らなかっただけだ。否、完全に理解をしていなかったにすぎない。魔力とは、命とは、《棺》とは――ギルガメッシュというサーヴァントの構成要素を把握しきれていなかった。
その上でベタベタに甘い砂糖菓子のような白昼夢を見ていたのだ。等価ではない、過ぎた妄想を。
そして無意識下に自身の願いへの違和感があったからこそ、らしからぬ引いた態度を取っていたのだろう。地下で脅しが過ぎたこともあったかもしれないが、その程度で態度を改めるような少女ではない。
僅かな距離を詰めてきた少女。戸惑いを瞳に浮かべ、それでも懸命に歩み寄ってきた。
他愛もない願いに告げた小さな赦しの声。それに浮かべた笑みが――見慣れていたはずのものが、何故か酷く突き刺さった。
その後にぎゅっと触れてきたのは小さな手。伝わってきたのは幼少者特有の高い体温。それは不思議と心地良ささえ伴なっていた。
そんなたかが半日ほど前の出来事が、酷く昔の事に思える。
先刻に倒れた少女の身体は、ろくな防寒もせずに夜気に晒されていたからだろう、酷く硬く冷え切っていた。無論温もりなど欠片もなく顔色は蒼白で、名を呼ぼうがピクリとも動かず、小さな身体はまるで命を感じない人形のようだった。
抱き上げたの身体は軽く、待機していた言峰の元へと運び込んだものの――神父が思わず顔を顰めるほどの消耗ぶりだった。
そこまで思い出し、再びギルガメッシュの腸の温度が上がる。実に不愉快だ。沸々と湧き上がってくる怒りに似たモノ――それを上手く言葉にはできぬが、しかしこれから取るべき行動は決まっていた。
は元々王に捧げられた供物。王のモノに手を出すなどという暴挙を捨て置くわけにもいくまい。かくなる上は、命をもってその罪の贖いをさせるというのが相応しかろう。
がたり、とここで思考を打ち切ってギルガメッシュは席を立った。そのまま何も言わず足を進める。その方向は出口――広場へ繋がる側だ。
歩いたままでギルガメッシュは、それこそ世間話をするほどの気安さを持って言葉を放った。
「暫らく留守にする。少しばかり心当たりがあるのでな」
「……心当たりとは?」
「ランサーの変質についてだ。あの気配、そうそうあるものではないからな。
我が目的であればここに留まるのも上策ではない。ついでに篭城戦も趣味ではない」
「つまり…討って出る、と?」
「ああ。こちらで何か大きな変化があればラインを通じて伝えるがいい」
ギルガメッシュは言峰の淡々とした相槌に答える。そのうちにかつん、と足音が止まった。
そう長くない距離であるので当然ではあったが、彼の目の前には堂々たる扉が立ちふさがっていた。ぎい、と観音扉の片側を開け、半分だけ身体を進める。
そこで初めて。青年は一瞬だけ諮詢するように身体を強張らせ――しかし振り返る事は無く、片方の拳だけを強く握り締め、後方へ向けてただ一言を発した。
「――贄を任せる」
前述の言葉と比較すればその台詞は酷く曖昧で、また脆弱なものだった。
そもそも、あの傲慢な王から他者に向けて何らかを『任せる』などという言葉が出る事自体、まるで天変地異の前触れのようですらある。
唯一それを聞き遂げ、そして言葉の対象者たる言峰は愉快極まりなかった。ラインを通じて伝わってくる感情を探る事は出来かねたが、それでも彼がいかに心乱れているのかが十分に察せられた一言だった。
ギルガメッシュが何をしようとしているのか――そんな事は言峰にはどうでもよかった。彼の単独行動は今に始まったことでもないし、大抵の物事に対応し得るだけの能力をあのサーヴァントは持ち合わせている。さらにある程度であれば、彼の行動はトレースも出来る。
くつくつと、咽喉の奥で言峰は愉悦を押し殺し――
「――よかろう。存分に任されたぞ、英雄王」
聞き届ける者など誰もいない呟きを三日月を模る口から零して、神父は礼拝堂の中央で満足げな微笑みを浮かべた。