Seventh Heaven

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Interlude 8-2

 礼拝堂に一人戻ってきたイリヤを言峰は何の言葉もなく受け入れた。少女もまた一言も発する事無く歩みを続け、彼の近くにあるベンチに腰を下ろす。
 そのまま暫らく、無言の幕は下ろされたままだった。夕陽は沈んだのか空は暮れなずみ、夜風がガタガタとガラス戸を揺らす。冷たさとともに暗闇が教会を侵食し始めたため、言峰はシャンデリアの電源を入れるべく、靴音とともに礼拝堂入り口まで移動した。

「――言峰神父。あの子は何?」

 それをまるで待っていたかのように、鈴のようなイリヤの声が空間に響く。その問い掛けに一瞬足音が鳴り止んだ。
 カチン、と小さな音が響いた一拍後、眩いばかりの人口の光が教会を照らす。同時に再びカツリカツリとブーツの硬い音が風の音の合間合間に木霊した。

「家族と死に別れた哀れな幼子だ」
「…そう言うことを訊いているんじゃないの。私はが『何』なのかを訊いているの」

 不機嫌な様子を隠そうともしないイリヤに、言峰は背を冬の少女に向けたまま一拍の間を空けて応える。

「…正直なところ、私にもまだわからん。
 あれの性質は――単純に特異体質で終わらせるには納得のいかない点が多い。悪魔憑きにと似た症状を現す例もあるが…あくまで類似だ。前例はない」
「あの子、今は《棺》に捕まっていた人たちを片っ端から昇華させているようだけど?」
「そのような《力》を持っているとは把握していない」
「じゃあ何で――」

 「やれ」とほのめかしたのか。それも、あたかもがそれを可能であると確信をしているような声音で。
 それを訊ねるよりも早く、言峰は言葉を続けた。

「あれは己の力だけでは対処できない事柄に直面すると、不思議とそれに合致する《なにか》を内側から呼び覚ましてきた。
 異常発達の原因であった魔力の過剰蓄積を解消するために転換魔術を。その転換魔術にて魔力を充填させた水晶はランサーの傷を塞ぎ、ギルガメッシュから聖杯戦争という言葉を引き出した。
 聖杯戦争という存在を疑問に思い、関わろうとしたが資格がないため拒絶された。その戦争に参加するべく資格を求め――己がこの教会に引き取られた意味を知り、聖杯を求めた。その中で一旦はランサーを手中にしたものの失った。
 ランサーを失ったのは、の慢心からくるものだ。原因が己にあるという自覚を得た今、あやつを取り戻すべくギルガメッシュを欲した彼女に、私から提示した無理難題をどう捌くのかを確かめたかったのだ。の内に潜む《可能性》を炙り出すためにな」

 つらつらと述べられる言葉に、内心イリヤは絶句していた。目の前にいる男は、驚くほど静かに、そして確実に現在の状況を分析している。
 と最も近く、そして長く過ごした一人、という理由もあるだろう。だがそれでも、この意見は二三日で纏められたものとは考えにくい。

「だが、そもそも発端である魔力の過剰蓄積の原因すらいまだ判別がつかないのだ。可能性をあげるにせよ、選択肢が多すぎる。
 ――少なくとも、真っ当な人間ではなかろう。かといって、お前のような者でもあるまい。それはお前が一番理解しているのではないのか、イリヤスフィール=フォン=アインツベルン」
「…………」
「回答が得られるのはもう少し先だ。暴かれるのか、それとも己から告げてくるのかはわからんがな」

 恐るべき煽動者は淡々と事実を述べる。彼の目的が一体何なのか、イリヤには見当もつかないが――という一少女の監視を続ける必要性だけはヒシヒシと感じられた。
 の周囲で異常現象が頻発しているのは間違いないし、何より――ギルガメッシュというイレギュラーサーヴァントを抑える意味であの少女は重要な鍵を握っている。

「…それで、本当にギルガメッシュを誘き寄せられたらマスター権を譲渡するんでしょうね?」
「無論だ。にアレをコントロールできるかまでは判らないが…まあ、問題ないだろう」
「そうね。がよほどのヘマをしない限りは、ね」

 は英雄王を慕っているし、摩訶不思議な事に彼もまた彼女を許容している。どのような経緯で形成された絆なのか推測する他ないが、がギルガメッシュを裏切るような事がなければ、そして王が幼子に飽きることがなければ彼らの関係は継続していくだろう。
 カチャカチャと、小さく硝子や陶器などの固い物同士が触れ合う音がする。いつの間にか伏せられていた顔を上げてみると、視界にトレイをもった言峰の姿が入った。その上にはワインのボトルと二つのグラスが乗っている。

「あら、もてなしてくれるなんて意外ね」
のことだ。私の相手でもしてくれとでも言っていたのではないか?」
「ご名答。淋しがってるかもしれないなんて言っていたわ」
「ふっ、やはりな。では一杯付き合ってもらおうか」
「こんな時間からワイン? 少々無粋じゃなくて」
「ふむ…では少々待っているがいい。名家の令嬢の舌に合えば良いが」

 そう言うと、神父はトレイをイリヤの目の前において再びその身を翻す。そのままドアの開閉の音とともに気配は失せ、礼拝堂に残されたのは少女ただ一人となった。
 静寂が満ちる講堂で、何とはなしにイリヤは眼前のワインボトルに視線を移す。中に満ちた深紅の液体が、なぜか酷く禍々しいもののように見えた。


 ※ ※ ※


 冬の陽は短い。夕日と明星が混じった赤黒い空――それは夜が再び訪れることを示している。
 派手な外装などは無いが、妙なまでの存在感と威圧感を目の前の館はかもし出していた。冬木の街、外国人墓地に程近い場所に存在する間桐邸前にて、金の髪の男――ギルガメッシュは無表情にその館を見上げている。
 白い外壁は夕日を受けて煌々と燃えるような色を照らしていた。長く伸びた影がどこまでも伸びているような錯覚を受けるほど、その場の雰囲気は酷く虚ろだった。

 間桐家は冬木に居を構える魔術師の家系である。その生業に相応しく、本殿たる屋敷は冬木の街の中でも大きな磁場を持った場所に構えられている。土地そのものに魔力が集う場所と言うのはこの冬木の街にもいくつか存在し、そしてその多くはかつてこの街で起きた聖杯戦争の舞台となった。
 間桐邸は聖杯戦争の大きな舞台にこそなっていないものの、土地が醸し出す《力》には大きな特徴があった。虚実に大きく振れたそれは、恐らくは現在の主に影響されているからであろう。これは先刻まで訪れていた柳洞寺にもいえることで、魔女が工房を設置してより魔力属性は負の方向へ大きく傾いた。
 こうしたシフト現象は、大抵の場合その原因であったモノが取り除かれれば霧散し、あるべき方向へと自然に修正される。だが、柳洞寺は違った。未だに力の属性は偏ったままであり、その傾向は改善される様子はない。
 あの神殿の主である魔術師――キャスターは先日始末をつけた。少なくともギルガメッシュはそう思っていた――実際に柳洞寺を訪れるまでは、だ。訪れて直ぐにその見解をギルガメッシュは撤回した。
 ――キャスターは存命である。今はそう強く確信している。どこでどう命を拾ったのかは判らないが、設置した神殿の管理運営はキャスタークラスでなければ行えないことと、現在の柳洞寺の状態からすれば術者の生存を考えるほうが筋が通る。
 また、街を散策すればあちらこちらで不自然な力の行使の残骸を確認出来た。歪な《力》の持ち主や摂取した魂の行き先までは察せられないが、少なくとも陰で暗躍する者達がいる事は確実である。

 現界して十年。この街に住み続けた身として、地脈の変化や霊地の性質異常について感じ取る材料は十分に所持していた。
 言峰教会や柳洞寺以外の霊地――セイバーを有する衛宮邸や今期のアーチャーを使役する遠坂、前回聖杯が出現した中央公園なども回ってきたが、特に柳洞寺のような異常は感じられなかった。その見回りの中、最後に訪れたのがこの間桐邸であった。
 冷たい風が吹き抜ける中、英雄王は人気のない屋敷を値踏みするように見据える。柳洞寺にある淀んだ力と似た印象を持つこの場所は、酷く不愉快さを掻き立てられる土地でもあった。かつて身に磨り込まれた《澱み》に似てはいるが、この館に蠢くモノは――それよりもより醜悪なように思える。

 だが、何にせよ現状ではあまりに判断材料が少なかった。
 今確信を持って言える事は、キャスターが存命している事、落命したと思われたランサーが性質が異なった状態で現存している事の二つだ。この二つの関連性だとか、それに何者が関わっているのかなどははっきりとした確証がまだない。
 ただ――ランサーの変質に関してのみ、経験に伴なう確信があった。
 あの男に纏わりついていた気配は、まず間違いなく《泥》だ。世界の悪意と言う悪意を集め、圧縮し、発酵させた唾棄すべきモノ。十年前に対し、己が受肉する原因となったモノ。懐かしくも忌まわしい存在だ。
 だが、あれは聖杯の中身ともいえるもので、サーヴァントが多数現界したままの第五回においてはまだ解放などされよう筈もない。自分の知らぬところでサーヴァントが失せているのかと思ったがそうでもなさそうだ。

 元々情報収集や推測など得意とするほうではない――というより、そういった事など眼中にない――ギルガメッシュである。柳洞寺と間桐邸における魔力異常を感じ取れても、勘で怪しいと確信を得てはいても、確固たる証拠を一日という短時間で揃えられるわけではない。

 ではこれよりどう動くべきか――いっそ、この屋敷に潜入するかと考え始めたところで――
 ふつり、と。
 《何か》が途切れた感覚が身体に走る。極僅かではあるが、確かに繋がれていたはずの細い線がふつりと音も無く消えた。一度目の自覚からそう間を置かず二本目、三本目――次から次へと切断されてゆく。
 この感覚が意味するものは唯一つ。《棺》の機能停止だ。哀れな生贄達より供給されている源感情のルートが、何らかの理由でその役目を果たしていない。

 ギルガメッシュは大きく地を蹴った。もはやこの場にいる事に既に意味は無く、三角蹴りの要領で壁を駆け上がると、民家の屋根に飛び移る。
 十年前より受肉した身では霊体化をする事は叶わない。だが事態は急を要すると、ギルガメッシュの中で何かが警報を鳴らしていた。陽が落ちかけているとはいえ、今はまだ人目もある。上空であればどれほど超人的なスピードで渡り歩こうと、アスファルトを疾走するよりはまだ目立たない。おまけに遮蔽物も少ないので、素早く移動するにはこちらのほうが適していた。

 物語の中の忍者さながらに、僅かな音と残像を残しつつ屋根から屋根へとギルガメッシュは移動する。そうする間にも、彼の中にあったはずの魔力通路はどんどんと失われていった。変わらず存在する大本のそれを逆探知しようとも試みたが、途中で遮断されてしまっている。
 何かあれば連絡をすると言っておきながら、この体たらくか。そう心中で舌打ちをするが、言峰ほどのものであれば連絡も取れないほどの深刻な状況に早々なるべく筈も無い。十年来の付き合いでなまじ知っているだけに、この状況が本人の意思による拒絶だというのが容易に推測できる。

 何が起きている。何が目的だ――

 逸る気持ちを押さえつけながらも、街を駆け抜ける。ようやく教会の入り口である石畳の坂までくると、飛び移っていた木から地表へと着地した。黄金の鎧を一瞬で装着すると、そのままの勢いで駆け上がる。
 走り続けて暫らくたたぬうちに、見慣れた教会の扉が見えた。その前には黒の外国車が停まっている。しかしそれには目もくれず、ギルガメッシュは殆ど蹴破るようにして教会内部へと足を踏み入れた。

「――どういう事だッ!!」

 開口一番、ギルガメッシュが叫んだのはその一言だった。
 飛び込んできた英雄王を迎え入れたのは、教会の主たる言峰、そして冬の少女イリヤ。これはまだいいとして、その二人は差し向かいでのんびりとティータイムを堪能しているのだ。
 自身に繋がる魔力回路の切断という異常事態にそれこそ飛ぶように帰ってきたというのに、短気なもので無くともこれには憤るだろう。完全武装してきたのが馬鹿のようである。

「ふむ、思いのほか早かったな」
「お邪魔しているわよ、英雄王」
「――貴様は」
「対面するのははじめてね。必要もないだろうけど、一応名乗っておくわ。イリヤスフィール=フォン=アインツベルン。のご意見番として協力させてもらっているわ」

 イリヤのその言葉で、初めてギルガメッシュはこの場にの姿が無いことに気がついた。
 武装を解きながら、しかし警戒心はそのままに疑問を口に乗せる。

「…はどうした」
「さて、な。私は見ての通り、アインツベルンの娘の襲撃にあい、その対応に苦労しているところだ」
「この教会ってばお茶菓子どころか、ロクな紅茶もないんですもの。ワインは上物が揃っているようだけど、呑むにはまだ早すぎる時間だしね」
「生憎とティータイムを楽しむような習慣が無いものでな」
「これを機に導入しては? も喜ぶわよ」

 目の前の二人は、真面目にギルガメシュの問い掛けに答える気はないようだった。のらりくらりと続く腹の探り合いに、ギルガメッシュは隠すこともなく舌打つと、言峰達を無視してそのまま教会の奥へと足を向ける。
 この距離であれば意識を研ぎ澄ませると例の霊堂内部――《棺》の魔力の流れはある程度判る。通常であれば、の話だ。無論今もそれを試みようとしているのだが、上手くサーチングが出来ない。ノイズがかかったかのように、内部の力場がひどく不安定になっている。
 だが、いうなればそれが確かな異常の証でもあった。近付くほどにそれがありありと判る。今この場にいる残りの二人も、それに気付けぬほど愚かではないはずなのだが――

「この速さ、予想外といえば予想外なのかしらねー」
「そうだな… 意外というべきか、当然というべきかは判断に迷うところだ」

 イリヤと言峰は、我関せずというスタイルを貫き通すつもりらしい。
 ここで宝物庫を開け放ってしまってもよかったが、それよりも今は聖堂内部の確認が重要に思えた。よって彼もまた、二人の事は意識の隅へと放り込み、奥へと続く扉をこじ開けて中庭へと姿を消した。

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