螺旋階段を下りるのももどかしく、入り口から一気に身を躍らせる。重力に従い落下し、下から上へと痺れるような衝撃が響いた。聖堂の底に漂うそれは常と変わらぬ静寂を湛えている。歩を進め地獄の底へ侵入した。
《棺》が安置されていたはずのその場所は、まるでその姿を変えている。
蛍火の様な燐光に照らされていたはずの地下だったが、いまや炎が生み出す光と影が妖しく揺らめいている。パチパチと爆ぜる炎は隆盛を失い、僅かな燃え殻にチラチラと見えるばかりであった。
恐らく相当の勢いで当初は燃え始めたのだろう。あたりの匂いはただ炭素の匂いに満ちており、肌にはちりちりとひりつく熱気と、それとは間逆のべとりとした細かい脂が肌や髪に纏わりつこうとしていた。
聖堂の奥――入り口に背を向けるような形で、一つの人影が見える。この不愉快な空間の中で落胆しているかのように肩から力をだらりと抜き、突っ立っているその後姿は頭身こそ違えど見知った者のそれだった。
「――貴様が、やったのか」
問いかけながら、ギルガメッシュは一歩身体を前に進めた。足元で炭化した固体が砕ける。耳障りな音を響かせながら、ゆっくりと彼はその人物へと歩み寄る。
「答えよ。返答次第では、ただではおかん」
言外に強制力を含ませた声だったが、ギルガメッシュの眼前にいるものは振り返ろうとはしなかった。
ちっ、と僅かに舌を打つと、一際大きく彼は発する。
「――聴こえぬのか。我の問いに答えよ!」
「聴こえているわ。そんな大きな声を出さなくったってね」
その声にギルガメッシュの足が止まる。聞き覚えのある、それでいて聞き覚えの無い声音に奇妙な既視感が頭に過ぎった。
くるり、と軽やかに女がようやっと振り返る。寸足らずのワンピースは焦げ、煤や形容しがたい染みがあちこちに付着している。足を覆うストッキングもボロボロで、ところどころで肌が露出していた。髪も幽鬼の様に長く伸び、下に隠れた表情は口元しか窺うことが出来ない。
彼女に対して、彼にしては珍しく目を見開き眉を上げてまじまじと――特異な者を見るように、意識を集中させていた。
そんなギルガメッシュに、女は小さく微笑むように口元を緩める。
「貴方がここにきたという事は、私の勝ちね。ふふっ、神父の驚く顔が見たかったわ。
…まあ、貴方の驚愕の表情も悪くないけど。ねぇ、英雄王」
女から零れる音に、男は眉間に皺を寄せた。
「貴様は、誰だ――いや、違うな。貴様は、何なのだ」
「――流石は英雄王。でも残念ながら、今は答えられないの」
悪戯の種を出し渋る子供のように、くすくすと笑いながら女は告げる。
その表情に問い詰めることを無駄と悟ったのか、ギルガメッシュは質問の矛先を変えてきた。
「これは、貴様がやったことか」
「半分正解、半分ハズレ。
この場所を弔おうとしたのは、この子自身。それを実行したのは私」
「…何故だ」
「あら、それを貴方が訊ねる?」
――判りきっているでしょうに。
小さな唇が音もなく形だけで言葉を紡ぐ。ギリ、と奥歯を噛み締め、ギルガメッシュは咽喉まで出掛かっていた台詞を無理矢理飲み込んだ。
英雄王の眼前に立つ者の願いは単純で、そのくせ根深く、更にはどうしようもなく愚かしいものだ。
聖杯戦争の道具として呼び出された英雄達に情を注ぎ、あまつさえは共生を望む。その願いを聖杯に託そうと考えたが、そもそれを得るという事は聖杯戦争の終結を意味する。戦争が終われば、そのための道具の存在に意味は無く、理に従えば元の座に戻るのだ。
卵が先か、鶏が先か――目的と手段が混線し、そこから自身のバランスを崩しかけていた事は記憶に新しい。
さらには精神的に不安定だった時に、追い討ちをかけるような変異したランサーの襲撃。残っていた余力を喰われ、意識を失った少女の身体はまるで無機質めいていた。抱え起こした時の冷たさを思い起こし、ギルガメッシュは僅かに拳を握り締める。
少女が何よりも望んでいたこの教会での微温湯のような、不可思議な共同生活。はじまった聖杯戦争。変わってしまった日常。それを上手く受け入れられず、浩子はもがいていた。
続けざまに起こったランサーの喪失という事実を飲み込むより早く、ギルガメッシュは彼女に断りなくその側から消えた。ランサーの変質の原因を突き止めるという題目もあったが――何より、混乱極まる少女をどう扱っていいかわからず、英雄王自身も困惑していたのだろう。
ここ数日の出来事は、経験の少ない幼子を追い詰めさせるには十分な材料だ。冷静に考えれば――ギルガメッシュはこのタイミングで教会から離れるべきではなかった。
だが――何故、そう思う。
ギルガメッシュはそんな己の結論に疑問符を浮かべる。
《棺》が失せ、緩々と魂を煮溶かすことが難しいならば、さっさと単純に直接魂を奪い糧とするべきだろうが…いまや、そうする気も失せていた事にも連鎖的に気付いてしまった。
そも、広田浩子という少女は己の《食料》としてこの場に連れてこられた筈だったのだ。贄としては全く役に立たず、それどころかこうして自分の内部をかき乱す。存在を疎みこそすれ、何故少女の心情を慮る必要があるのだろうか――
「…判らん」
それが、眼前の人物からの問いかけに対する返答なのか、それとも自身の内で生まれた疑問への呟きなのか、ギルガメッシュ本人ですら定かではなかった。
浩子の姿をした何者かは、そんな英雄王の微かな動揺の仕草を愉快気に眺めつつ、ちらりと視線を周囲へ走らせた。
「この場所にいた魂たちの弔いは、浩子の願いの一つ。それがたまたま、貴方を振り向かせるのにも適していた。一石二鳥よね。ちゃんと責任は取るそうだから安心なさいな」
「責任…だと?」
「ええ。だから《食事》の心配はしなくても大丈夫」
さらり、と。女は事も無げに言い切った。それと同時にふわりと身を躍らせ、腕一本分の距離まで英雄王へと自ら接近する。
「さて…私の役目は今はここまで。後は任せるわ」
「…ッ、待て!」
ギルガメッシュの静止の言葉を聞くわけもなく、女は口を閉じる。同時にグラリと身体が傾いだ。男の腕の中に吸い込まれるように倒れた女の身体は酷く熱く、薄らと汗ばんでいる。
意図せず受け止める羽目になったギルガメッシュは、好き放題に伸びきっている女の前髪を手荒にかき分けた。その下には僅かに眉をひそめ、荒い呼吸をする少女の表情がある。
「――一体、何が起きているというのだ…」
その疑問に答えるものがいないことを理解しながらも、それでもギルガメッシュの口からは困惑した言葉が意図せず漏れ出ていた。