Seventh Heaven

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Interlude 9-1

 ギルガメッシュが地下聖堂からを肩に抱えて戻ると、中庭では神父と冬の少女が待ち構えていた。
 二人揃って戻ってくることを予測していたのか、言峰に関しては特に驚いた様子もない。だがイリヤはもとより大きなその瞳をより丸くさせ、まじまじとの姿形を見つめている。

「…本当に姿そのものまで変わるのね」
「身体の変化はそれまでに吸収した魔力量に比例するようだ。爪や髪だけに現れることもあれば、今回のように身体全体が変異を遂げる事例もある」

 呆れすら滲ませた言葉に、言峰が補足するように言葉を重ねた。だがイリヤもそれだけでは納得しない。続けざまに口を開く。

「吸収って割には魔術回路なんて持っていないようだけど」
「そこが最大の謎だ。私としては特に突き詰めてまで原因を解明しようとは思わんが…興味が湧いたか?」
「当然でしょう。魔に関わるものとしては尚更よ。
 ――OK、そういうことならアインツベルンの技を見せてあげるわ」
「取引成立だな」

 ギルガメッシュとが地下にいる間に、どうやら二人の間でなにやらやり取りがあったらしい。ニタリ、という表現が良く似合う笑みを二人揃って唇に浮かべている。隙あらば出し抜く気があるのだとイリヤと言峰の双方が主張しあっていた。
 だが、そんな瑣末事は今のギルガメッシュにとってはどうでもよかった。言葉にしがたい違和感が自身の内側に渦巻くように蟠っている。立ちふさがる二人の間を言葉なく突っ切ろうとした途中で、空席の肩を大きな手に抑えられた。

「――邪魔だ」
「なに、手間は取らせん」

 侍従の剣呑な視線を気にも留めず、主人はその片手を軽く閃かせた。月明かりを反射する鈍い色が夜闇との長髪を切り取る。随分と乱暴な持ち去り方だったが、切り取られた髪は丁度いつもと同じ肩口で揃っていた。

「こちらの用件はこれで終わりだ」
「――フン」

 言われるまでもないとばかりにギルガメッシュは言峰を振り切り、宵闇を背に建物内に足を踏み入れる。淡い月明かりだけが廊下を映し出していた。

※ ※ ※

 敷地内の一角にある、少しばかり小さめの簡素な部屋。それがの寝室だった。
 揃えられているものといえば飾り気のないベッドとその上に無造作に置かれた小さなぬいぐるみ達。その近くに配置されたクローゼットとキャビネット。部屋の隅には立てかけ式の鏡と三段のカラーボックスがあり、ゴチャゴチャと物が詰められており整理されていない。
 その中には教会の書庫から持ち出したのであろう本やゲームセンターでの戦利品らしきものが収められていた。だが全てをあわせて考えたところで、同年代の少女と比べれば、あまりにも味気ない。質素と言っても過言ではなかった。
 部屋の主がカーテンを閉め忘れていたのか、外に面した窓からは青白い光が差し込み部屋を染めている。物の少ない――否、少女の笑みがここにない――ことも相まって、酷く侘しい印象を与えた。そう何度も足繁く通った場所では無いが、今のここはかつての温もりはなく、昏い静寂に包まれていた。

 肩に担いでいたを降ろす。投げ出された四肢はベッドのスプリングに僅かに反発して跳ねた後、ゆっくりと沈む。少女が目覚める様子はない。
 急成長をした身体には以前の服は小さいのだろう。袖の長さは五分以下、スカートの裾はワンピースということもあるだろうが、足の付け根をギリギリで隠す程度。二月の夜だというのに殆ど夏の装束と化している。蒼い影に包まれた素肌が静かに震えていた。
 男は小さく息をつくと少女を覗き込むようにしてベッドにその手を付く。体重にバネが小さな軋みをあげた。くぼんだマットを埋めるようにコロコロと動物を模したぬいぐるみが近寄ってくる。チッ、とギルガメッシュは小さく舌を打ち、目障りなそれをあらぬほうへ放り投げた。居場所を失ったぬいぐるみが点々と転がり、鏡の前で止まる。
 少女の細い腰に腕を差し込み、掬い上げるように足を持ち上げる。浮いた隙間からうわ掛けを引き抜くと、持ち上げた時同様に素早くの身体を元に戻した。

 そば立つ柔肌を隠すように布で包んで暫し――月光が透けるほどだった顔色に、本来の赤味がじわりじわりと舞い戻り始める。
 ベッドに横たわる少女の呼気は静かだ。浅くはあるがしっかりとしたストロークで呼吸を繰り返している。先刻の聖堂にて見せた荒れも今は鳴りを潜めていた。
 ギルガメッシュが日付が変わっている事に気付いたのは、の私室に備え付けてあった液晶時計の表示をふと見てからだった。丑三つ時の空気が世界を包んでいる。中腰の姿勢のままでいるのも馬鹿らしいので、どこかに腰かけようと思うもこの部屋には椅子の類がない。そのため仕方なくベッドに腰を落とした。

 物音といえば少女が奏でる呼気のみが響くその空間で、ギルガメッシュは先刻の事態と現状とを振り返る。先ほどはらしくもなく動揺を許したが、こうして冷静に一つ一つの物事に対して向き合っていると見えてくるものがあった。
 いつものように肩口で切りそろえられた彼女の髪の一房を指で掬う。サラサラとした心地良い手触りに潜む魔力量は膨大だ。今までにも幾度か彼女がこうして成長した事はあったが、今回はその比ではない。それこそまるで――魂を片端から呑み込んだ後のように満たされている。

 恐らく、否、間違いなく――それは事実であろう。
 あの場所で弔いと共に《彼女》は贄達の一部を拝借した。同意のもとか一方的にか、あるいは副産物かまでは推測しにくいが、こうして彼女が急成長を起こしているからには相当量の魔力を摂取したことにはかわりない。
 魔術師でもないただの人間が、果たしてそんな事が可能なのか。通常であれば答えはNOであるが、今回に限ってはそう断言をする事は出来ない。何しろ、は潜在的に大源を無意識に吸収するという能力を所持している。大源では飽き足らず小源――魂食いをした可能性を完全に捨て去る事は不可能である。
 ギルガメッシュは僅かの間、先ほどまで少女を抱えていた手に視線を落とした。子供特有の高い体温が冬の寒さに抗うように残っている。
 否、体温だけではない。少女に触れていた部分全てに、残り香のような魔力の残滓がこびりついている。それはあたかも、水分を十分に含んだスポンジが乾いた布や紙に染み移るようでもあった。
 この現象を顧みて導き出される答えは一つ。のキャパシティを超えて吸収された魔力が、高低差にしたがってギルガメッシュに移動しているのだ。
 効率こそ悪いが、それは魔力回路を通じて供給されるものと同質の――魔力の譲渡に相当する。このことからの基本性質は《吸収》――ギルガメッシュはそのように認識していたが、この事態からもっと別のものがある可能性が俄然出てきた。

 そもそも、魔術師にとっての魔力とは生命力に直結する命の欠片だ。魂食いを本質とするサーヴァントにすれば、魔力に満ち満ちたその姿は非常に魅力的な姿でもある。さらに搾取だけではなく、供給も行えるとなればこれほどサーヴァント的に利用価値の高い素体もまずあるまい。ギルガメッシュに強いられた現在の状況からすればなおの事だ。
 魔力というものは、量があれば術式を組まずとも力押しで様々な奇跡を体現することが可能だ。その原理をこの冬木にある聖杯は利用していると言える。
 魔術による生命体とも言えるサーヴァント達は、外部からの供給なしには現世に留まり続ける事は叶わない。膨大な維持費を必要とする彼らの土台をになっているのが聖杯だ。聖杯は召喚・契約の手続きを簡略化し、維持するための膨大な魔力の大部分を肩代わりする。

 しかし――言峰との《契約》による魔力ラインが残ってはいるが、前回の聖杯戦争から現世に残り続けているギルガメッシュには聖杯からの供給は無きに等しい。そのため《棺》からの供給を前提として現界していたのだが、それが閉ざされた今、今後外部供給をしないことを仮定すると身体に残る魔力残量が生命力に直結していた。
 無論自力で魔力精製をすることも出来るが、外部供給から考えれば微々たるもの。そもそもギルガメッシュの魂の質量こそ最高レベルではあるが、既存魔力値は突出するものではない。自然回復量は魔力の最大値に依存する部分が多く、彼の性質――大量の源感情の摂取を前提にしてこその存在であれば、その回復量も推して知るべしだ。自身の身体の事など、ギルガメッシュ本人が一番理解出来ている。
 自然、身体は残りの燃料を節約しようとしているのか、受肉による自然欲求ではない強い気だるさを感じる。抗いがたい欲求だ。

 もう一度、ギルガメッシュはの手を取った。小さな手に不釣合いなほどの魔力の流れを感じる。ゆっくりと少女の細い指と自身の指とをすり合わせるように絡み合わせれば、流れ込む魔力量はより一層多くなった。どうやら接触面積や密度が大きければ大きいほど、魔力の移行も強くなるようである。
 から伝わってくるのは、少女が吸収したであろう《棺》に満ちていた怨嗟の声ではなく、まったく白紙の、純粋な《魔》の《力》だった。
 それは喜怒哀楽では表現できず、では何かと問われても答えることが難しい。未知でありながらも既知ですらあるように感じる。既視感にも似たその感覚は、あたかも少女自身――ただ空気の如く漠然と、そのくせ無ければ違和感を感じるような――を現しているようにも思えた。

 ゆっくりと、目蓋が下りる。薄闇に帳が下ろされ、身体から静かに力が抜けていく。繋がる手から流れてくる穏やかな力が、まるで微温湯のようにそれを助長する。寝てはならぬと頭の奥の冷静な部分が喚起しているようにも思うが、そんな理性よりも欲の方が遥かに力強い。
 世界が閉じるように目蓋が落ちてくる。意識がどこかに吸われ、消えていく。ままならぬ自意識に反発するよりも、繋がる手から伝わる穏やかなモノがただ不可思議に思えた。

 室内に響く音が独奏から二重奏に変わる頃、月明かりさえも密やかに空から姿を消していた。

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